メモ帳用ブログ

色々な雑記。

高畑勲監督は、物語が直線的に盛り上がってしまうのを避けるために映画ではわざと回想を多用する形式にすることがあった。『火垂るの墓』は冒頭で亡くなった主人公が妹との過去の生活を回想していく形式で、微笑ましい過去のシーンが終わるたびにその光景を後悔とともに苦々しく見ている主人公の亡霊の姿が挿入される。『おもひでぽろぽろ』は原作漫画どおりの少女の主人公が過ごした古き良き時代のエピソードと、それを回想する今は疲れた大人になってしまった主人公による映画オリジナルのエピソードが並行して語られ、最後は大人になっている主人公が自分の人生に一定の落としどころを見つけ出す内容になっている。テレビアニメを監督した『母をたずねて三千里』が1999年に別の監督で映画化されるのが決まった時も、せめて大人になった主人公が回想する形式にするようにリクエストしていた。

直線的に盛り上がるのをわざと避ける、というのは本来エンタメ的には禁じ手。それでも日常の些細な幸せや気付きといったもの描くことを目指していた高畑監督は、エンタメ性を捨ててでも、作り物の盛り上がりを排除してきたという。これは理想を実現するための確かな感性と技術、優秀なスタッフ、テレビアニメでの長年の実績、宮崎駿監督という超人的な相棒、その全てが揃っていたからこそ実現できたことで、決して空虚な理想論での“評価の高いアニメ”はないのだそうだ。後年は懇意にしていた特定のスポンサーに制作資金を頼るところが大きかったというけど、それも築き上げてきた実績あってのもの。