メモ帳用ブログ

色々な雑記。

ギリギリいける感

あんな低俗な作品が持ち上げられたら業界が滅びるみたいな意見が自分は嫌いだ。
ぶっちゃけセカイ系が流行ってた時そういうの読んでたし、キモいなと思う部分もありつつ結構好きでもある。どちらかというとセカイ系に見えてアンチセカイ系的な内容の『少女革命ウテナ』とかの好きだけど。近年の新海誠監督の映画もセカイ系というよりは人間が多少運命に介入したり無茶苦茶やろうが世界は丈夫で平常運転、な感じだからむしろポストセカイ系?ウェブ小説の自分が世界の中心であることに悪びれもしない感じも別方向でポストセカイ系かも。
セカイ系って概念はあいまいだからどの作品をそう考えるかは意見が分かれる。だから本当に自分がセカイ系を楽しんでいたと言っていいのかは断言できないところがある。ただセカイ系の元祖といわれる『新世紀エヴァンゲリオン』は好きだし、セカイ系の代表格のひとつの『最終兵器彼女』もいける感とキモいと思う気持ちのせめぎ合いを感じながら楽しく読んでいた。『なるたる』『ぼくらの』も同じような楽しみ方をしていた。セカイ系の本場のひとつらしいアダルトゲームはちゃんとやってないからよくわからない。ただ主人公が世界の中心として振る舞うエンタメって意味では、ゲームはシステム上だいたいがセカイ系になるんだろう。しかも恋愛ゲームとなると、他人の気持ちは主人公=プレイヤーが攻略して操作する対象でしかない。攻略対象は全員自分が救ってあげなきゃ幸せになれないからハーレムルート求む!的な。ゲームってそういうものだし、エンタメってそういうものだし、自分はゲームも好きだ。
ミステリの分野だと最近自分が読んでもいないくせに何度か名前を出している清涼院流水先生がまさにセカイ系な宣言をしていたそうだ。曰く、「社会派でなく世界派」で「小説でなく大説」らしい。ただ麻耶雄嵩先生フォロアー作家としては先輩にあたる清涼院流水先生を、舞城王太郎先生が強く意識していたのは確からしい。特にトリビュート作品の『九十九十九』より『ディスコ探偵水曜日』のほうがよほど清涼院流水フォロワー的な作風になっているようだ。読んでもいないのに語るのは無理があるから早く読まないと。