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社会体制と道徳

2018年に日本語訳された『馬・車輪・言語 文明はどこで誕生したのか』がマスターキートンキートンの専門分野(先史時代の東欧・西欧文明の起源)と扱う範囲が被っているらしいと聞いて読んで見たら、本当にドンピシャだった。面白い。じっくり読もう。

マスターキートン的な要素とは関係ないけど面白かった部分。紀元前5000年ごろ、近東に起源を持つ農耕牧畜民が東欧にも移住を始めた。その時に比較的すぐにその技術を取り入れる狩猟採集民のグループと、数百年受け入れなかったグループがあったと推測される。

自分の家族に種畜を食べさせるくらいなら家族が飢えるのを眺めるほど、道徳的にも倫理的にも徹底した人でなければ家畜は育てられない。種まき用の穀物と種畜は食べずに、残さなければならず、さもないと翌年には作物も子牛も期待できなくなる。採集民は総じて、将来のためにわずかな貯蓄をするよりも、その場で分かち合い、寛大に振る舞うことに重きを置く。そのため、畜産への転換は経済的なものであるのと同じくらい、道徳上の問題でもあったのだ。おそらくそれは、古くからの道徳に逆らうものだっただろう。畜産への抵抗があったのは驚くべきことではないし、実際に始まると、新しい祭祀や新たな指導体制が生まれたことも、新たな指導者が大宴会を催して、先送りにした投資が回収されたときに食べ物を分かち合ったのも意外ではない。こうした新たな祭祀と指導者の役割は、印欧の宗教と社会の基礎となった。

狩猟採集民は日々の作業で即座に収穫が得られ、労働と報酬が直接的に結びついている。農耕牧畜民は将来報われると信じてその日は収穫を得られない作業を積み重ねなければならない。努力はいつか報われるものだという道徳的価値観を集団全体で共有しなくてはならない。またこの本では契約という概念を産んだのが牧畜民であることを述べている。不動産である土地に比べて動産である家畜は変動しやすく、頻繁な貸し借りが行われ、それを管理する概念が必要だった。

農耕史を習うと必ず教えられることだけど、実は十分な土地のある狩猟採集民のほうが初期の農耕牧畜民よりも労働時間が少なくて済んだ上に栄養状態も良かったとされている。初期の人類社会では労働あたりの生産性は狩猟採集の方が勝っていた。ただし面積あたりで比較すると、初期でも農耕からは狩猟採集の50倍ほどの食料が生産できた。人類は新石器時代の前後に狩猟採集体制で支えられる人口の上限に達したとされている。そして農耕牧畜を発明できた地域がより人口を増やした。人口の多い集団は当然のように人口の少ない集団を飲み込んでいく。

狩猟採集民のこうした「道徳」的なあり方に注目し、原始共産制や日本だと縄文時代に憧れる学者・作家は少なくない。
自分は欲深くて今の生活を崩すのは嫌だから、あくまで今の文明をベースに考えたい。でも向上を気負わない方が穏やかでおおらかに生きられるのはわかるし、憧れる部分もある。