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敵=誤った理なエピソード

中国の民間信仰的な価値観からすると、神(プラスな霊的存在)も鬼(マイナスな霊的存在)も天理(儒教的な言い回しだと天命)や自然の一部だ。天の支配から抜け出すためには仙人になって他の神や天理を無視できる存在になる必要がある。ただし仙人になれる素質を持っているかどうかは縁や宿命に左右され、力をつけるための修行も天理に沿って行う必要がある、というややこしい構造になっている。これが本当に本流の道教解釈かは置いておいて、現代の修仙・修真ものの娯楽作品はこんな感じの理屈に基づいている。天に逆らうこと(逆天)や天罰(天劫)を乗り越えることが真の仙人になるための重要なイベントに位置づけられているらしい。

明代の神怪小説を原作としたWJ版の『封神演義』も概ねこうした展開になっている(仙人が死んで神になることは、ある意味で格上げであり、ある意味で自由の喪失でもある)。

『屍者の13月(日月同错)』の場合も、導入部後初めての本格的なエピソードとなる黒山村の事件では、主人公の高皓光たちは誤った理と対峙する。

黒山村の村人たちは先祖の過ちを子孫が償わなければならないという誤った理を信じ込んでいる。また村人たちがそうなるまで追い込んだ法屍者の三眼は、屍者が人間を餌食にするのは自然の摂理、過剰なまでの因果応報の徹底、などの誤った理を人間に押し付けてくる。

このエピソードでは高皓光たちは誤った理に打ち勝つことはできなかった。

一方、姜明子は高位の仙人であり、不屍王を倒すという宿命のためにも、自分が運命から開放されるためにも、高皓光を誘導しようとしている。

TRPG風のアライメント(属性分け)でいうと、三眼は秩序にして悪、同月令は秩序にして善、姜明子は表向きは同月令に従っているが本当の狙いは秩序から抜け出すこと(混沌)にある。

ちなみに中文版の第6回だと、先祖の過ちの償いを子孫に求める村人を非難するのに黄二果が「歪理邪说(屁理屈で人の心を惑わす邪悪な言説)」という言葉を使っている。