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色々な雑記。

中国の三教

西遊記も最初からほぼ最後まで全てがお釈迦様の手のひらの上、な話だな。途中で待ち構える妖怪たちも仙人や仏の仕組んだ試練。西遊記の題材は仏教だけど中国的な価値観が反映されている。ただ仏教自体にも宿命論的な部分はあるのでアジアで共通する価値観といえるのかもしれない。仏教の因果応報は個人の生まれ変わりの中で完結していて、中国の儒教道教では親の因果が子に報い。
中国では儒教道教・仏教の三教が複雑に絡み合って補完し合ってきた。三教は時代によりほぼ融合することもあれば争い合うこともあった。輪廻転生を前提とする仏教では本来おかしいはずの盂蘭盆会(お盆)って行事が東アジアにあるのも、中国での仏教布教のために儒教道教と妥協する必要があったから。三教の生死観は、儒教が招魂復魄、道教が不老長生、仏教が輪廻転生だとされる。だから儒教は男系の子孫が先祖の供養を続け、常に先祖の霊が招魂復魄できる状態に保つことを重視してきた。儒教は宗教でないという説があるけど、東アジアの氏族体系の基礎が儒教的な生死観に基づくものであることを考えると、宗教的であることは間違いがない。
終末・再生論でいうと、儒教易姓革命、仏教が末法思想で、道教にも仏教の影響を受けた劫末という思想がある。劫は本来1つの世界が生まれてから滅びるまでの長い期間を指す言葉だけど、現在の道教風娯楽小説では神仙になった者が乗り越えなくてはならない天罰という意味で天劫が用いられるらしい。
明代に成立した小説の封神演義では、殺劫の周期が巡ってきたことが封神計画の背景になっている。殺劫は日本で俗説の広まっている殺人衝動とかではなくて、1500年に1度訪れる殺生戒を破るしかない試練のこと。主人公の姜子牙(太公望)は仙人界から下されて、人間界で殷周革命の立役者となる。殺劫はこの前の革命を否定的な言葉で表す際に用いられることもあるようだ。
周は天を中心とする祭祀体系を持ち、礼教の基礎をつくり、儒教の源流になったとされる。儒教の始祖である孔子はいにしえの周の周公旦を理想の聖人と位置付けた。
文学上ではなく歴史上だと、六朝(三国〜五胡十六国南北朝)時代の知識人は当時の乱れた世を劫の巡りによって滅ぶ周期にあたる世として捉えていた。
道教の文献などでは南北朝表記よりも六朝表記のほうが一般的なようだから、自分もブログでは六朝表記にしたほうが良かったかもしれない。
封神演義での殺劫は1500年周期なので、それに則して考えると殷(商)末、六朝時代、近現代はいずれも滅ぶべき時代にあたる。現実的にはそれ以外にも易姓革命は何度も起きている。