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色々な雑記。

価値観

伝統的な中国の道教だと自然と一体化して社会を超越することが大切なはずだけど、ウェブ小説とかの道教風娯楽作品だと自然や天に逆らうことが重要らしい。中二病的? 日本でも現代娯楽作品はそっち系も多いな。
WJ版封神演義中二病的なのは、参考にした安納務版封神演義が原典に大胆な中二病的改変を加えたものだったためだ。安納務先生が原典からの改変を詳しく説明しなかったこともあって内容は賛否分かれているけど、現代人的な感性に合う改変にはなっている。第年秒先生はWJ版封神演義のファンだそうだし。
屍者の13月(日月同錯)は基本的に中二病路線かな。
そういえば、白大が半年かけて集めた滋養強壮の薬草を友人の遺体を埋葬するための獣避けに使ったことが善行扱いされている部分が感覚によく理解できなかったんだけど、遺体を丁重に扱う儒教的な価値観に基づく行動なんだな。自分が医療従事者だったら、屍疫治療用に丹薬をもらったとはいえ、予備のためにも他の治療に備えるためにも貴重な薬草を遺体のために使う発想は出ない。村の周りの薬草は取り尽くしてしまったのだからなおさらだ。
儒教的には遺体を正しく埋葬しないと死者の魂が安息を迎えられないし、子孫にも祟りが訪れる。キョンシーは遺体をなんとしても故郷で正しく埋葬するため、遺体自身を歩かせて運搬する術によって生み出されたものという説もあるくらいだ。反対に、正しく埋葬されず化けて出たのがキョンシーだという説もある(諸説あり)。
白大の場合、流石に遺体を黒山村まで運ぶのは無理な状況だったから、せめてできるだけ手厚く葬らなくてはならなかったということなのか。