メモ帳用ブログ

色々な雑記。

めぞん一刻のキャラだと、八神いぶきが空回りギャグキャラとして作中で一番好きかもしれないくらい好きだ。でももしダブルヒロインの一角だったら大嫌いだったかもしれない。もしくは主人公の五代裕作やメインヒロインの音無響子に不満がたまって作品のことを苦手になっていたかもしれない。主人公は嫌いだけど作品はそう嫌いじゃないから読む漫画もあるけど、そんなことを公言したら作品アンチ同然になってしまう。エンタメ作品だとキャラ性とキャラポジションの噛み合いは重要だ。
革命家気取りで積極的に大量殺人するキャラも完全な正義ポジションに置かれていると嫌いになる。人間はどうしてもろくでもないところがあるものだけど、そんなには悪くない相手まで大量虐殺することはフィクションの悪として最上級の愉悦だ。だから残虐シーンを山場として用意しておきながら、その行為の悪質さから逃げるために改革の正義を持ち出されると心底ガッカリする。愉悦を正当化されるくらいなら最初から残虐性をうまくぼかされたほうがマシだ。多数の人間のために対処療法以上の根本的な改革が必要な状況でも、巻き込まれて犠牲になる人間が出る場合は、その正義の中に潜む悪を自覚できる人間を応援したい。
でも大義名分を笠に着てろくでもないことをしているポジションのキャラは場合は逆に好きだ。ガン・ソードの鉤爪の男もデスノートのライトもいいキャラをしている。
お〜い、竜馬!の武市半平太は、器に見合わない大義を持ってしまって竜馬に劣等感を持っているところが強調されているから好感が持てる。幼馴染の岡田以蔵を要人暗殺に利用した罪悪感に最後の最後で向き合った時の惨めさも良い。お〜い、竜馬!は器が大きくてなるべく犠牲者を出さずに商業による改革を目指した坂本龍馬が主人公で、武市半平太はその引き立て役として十二分な働きをした。自分は飄々とした主人公には共感よりも憧れの感情が勝るタイプの人間だから、主人公に少し劣等感を持ちながら憧れているキャラは応援したくなる。
こういう安易なエンタメ成分を減らして深いテーマに挑んだ作品の方が成功した時の感動は大きいけど、失敗すればあえて挑んだのだとしてもやはり失敗作として見るしかない。でも客観的には失敗作だろうけど自分は大好きな作品というのは結構ある。
戦国の三英傑の中だと、歴史をモチーフにしたエンタメのキャラとしては豊臣秀吉が一番好きだ。秀吉が主人公だったり好意的に扱われていたりする作品でも、晩年が正当化されることが少なくて好感が持てる。ギラギラした成り上がり時代と天下人となってからの耄碌ぶりのコントラストが派手でエンタメしてる。現実的には徳川家康の泥臭さが一番尊敬できるかな。
自分の場合、歴史モチーフのエンタメキャラとしては、豊臣秀吉だろうと、織田信長だろうと、今川義元だろうと、チンギスハンだろうと、フビライハンだろうと、岳飛だろうと、現実での好感よりもその作中での扱いとかキャラ性とキャラポジションの噛み合いに好き嫌いが左右される。