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色々な雑記。

三眼は理不尽な天に操られた存在であり、なおかつ理不尽な天の権化のような存在。三眼は自ら名前は忘れたと言うように人間性も忘れきっている。三眼の出した結果に憤りを覚えさせることで運命に抗うというテーマを認識させる。というキャラポジションなんだけど、変に人格あるように見えるせいで白小小や黒山村の人間と三眼を同列に並べたくなるのが混乱の元だな。
今のところ不屍王が自然天象の1種に見えるのと同じように、三眼も理不尽な自然天象とみなすのが本来は正しいはず。
三眼は
「咱也可以把此目借与傀儡,当然,只要咱意识健在,就算身体四分五裂。此神通依然会由咱所控。」
「だから死体の方が扱いやすい。
傀儡にこの目を貸すこともできる、当然、
オレの意識がある限りは、体がバラバラになっても。
この神通力は依然オレが制御する。」
と語っていた。だから三眼から借元真目を借りるということは三眼と同列になることを意味するのではなく、三眼の傀儡になることを意味している。白小小は黒山村の住人の傀儡をやめた代わりに三眼の傀儡になった。
三眼が借元真目を貸した直後のあの反応はやっぱり白小小の言葉が意外だったんだと思う。たぶん三眼は白小小から意識の喪失を望まれるにしても感謝の言葉ももらえると思っていた。でも白小小は直前の回想で三眼に包囲されたせいで父親が生贄になるしかなくなったことを再確認していた。だから白小小は三眼に対してきつく自害を命じた。でも人間性のない三眼には力を貸したし自分から自分に対する復讐を勧めたのにそこまでつっけんどんな対応を取られる意味がわからなかったんじゃないか。
下手に首を突っ込んだせいで望まぬ自害を強いられて残念がるという三眼の行動は西暦525年と西暦1906年で共通している。
白小小と黒山村の住人と三眼の関係は、屍者と一般社会と不屍王の関係に対応している。
白小小は黒山村の住人の傀儡をやめた代わりに三眼の傀儡になった。
人間は屍者となって寿命(天命)の傀儡をやめることができるが、代わりに不屍王の傀儡になる。さらにその不屍王は天に属している。屍者も天賦神通というかたちで天に縛られている。法師が法屍者になる時は、本命が死んで天賦神通が降来するそうだ。
もしかしたらこの天の字が入っていない本命神通こそが人間が天の縛りから逃れるための鍵なのかもしれない?
人間は生きている間本命と天命の両方を持っていて、死んで天命(寿命)を失ったあとも天が人間を縛るため、天が不屍王を使いに出して人間の本命を天賦に置き換えるとか?