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色々な雑記。

中国は規模の大きいイースター島の悲劇を繰り返していた国らしい。

ちなみに、19世紀以降、中国の近代化が遅れた原因の一つは、人口増加にともない一人あたりの生活水準が劇的に低下し、資本の原始的蓄積ができなかったからである。一方、日本は江戸時代中期以降、「間引き」などの荒っぽい人口抑制法により静止人口を維持したため、江戸時代後期の一人あたりの生活水準は急速に向上した。この江戸時代の蓄積なくして、明治以降の急速な近代化は不可能だったと言われる。
 近代の中国は、毛沢東(1893-1976)が死去するまで「生めよ増やせよ」の時代が続く。


上のサイトは明治大学法学部教授(当時は広島大学総合科学部助教授)の随筆。
歴史学の教授ではないので、戸籍上の人口と実人口を混ぜて語っていたりと荒っぽいところは多いけど、人口推移の大枠は掴める。中国は王朝交代を繰り返すこともあって戸籍上の人口と実人口の差は相当あったとされている。たとえば安史の乱の直後、戸籍上の人口は1/3にまで落ち込む*1けど、実人口はそこまでは減少しなかったという説もある。
明から清への王朝交代でも戸籍上の人口は大きく落ち込んでいるが、実人口のダメージはもっと少し軽かった。また清朝中期に人口爆発が起きたのは事実でも、戸籍上の人口が実人口に近づいたためになおさら急激に膨れ上がったように見えてしまう面もあるとされている。清朝中期には伝統的な人頭税が事実上廃止されたため、それまで税逃れをしていた相当数の人間も戸籍に記載されるようになった。この税制改正を地丁銀制という。税は銀で支払われた。
税が現物納(農作物など)や労役から銀納に改革されたのは明のことだ。当時は西洋のアジア進出を受けて、中国にも商人によってもたらされる銀が大量に流入していた。この銀にはメキシコ銀だけでなく、当時世界有数の銀輸出国だった日本の銀も相当に含まれている。
日本が19世紀に近代化を成功させられたのは、当時は金・銀の資源大国だったためという側面がある。そして当時の清は銀の輸入国だった。
日本は人口制限を行ったから近代化に成功し、中国は行わなかったから立ち遅れたというのは1つの要因を強調しすぎているように思う。
歴史は様々な要素が絡むため、人口や資源など要素を限って捉えることも必要になる。ただあくまで単純化した見方だということを念頭に置かないと、見逃してしまうものが多くなりすぎる。