メモ帳用ブログ

色々な雑記。

革命家とテロリストは常に紙一重だ。私憤が皆無な革命家は存在しないし義憤が皆無なテロリストも存在しない。破壊自体が目的なのか、より良い社会を実現するためにあくまで手段として破壊を行っているのかということは目安の1つになりうる。ただしそれにしたって多くのテロリストは後者のつもりだろう。後者のつもりで虐殺を行った独裁者もいくらでもいる。だから同時代人や後世の人間から評価される結果を残せるか、少なくとも評価の議論の対象になる結果を残せることが革命家には必要になる。

日月同錯の高皓光はある種の革命家として描かれているんだと思う。ただし今のところ全く結果が伴っていないので革命家の悪い部分が目立つというかテロリストに見えかねない。フィクションでは悪のテロリストを魅力的に描くこともできるけど、高皓光はダークヒーローとして魅力的な人間というわけでもないので、ただ未熟な面ばかりが目立つ。過去の年長者である姜明子や未来で高皓光の成果を知る段星煉の視点を通じて高皓光の未熟さを俯瞰できるよう工夫はしてあるけど、それがなおさら距離を感じさせてしまい肩入れしにくくなってる感がある。

正直言ってネット上で真面目に社会問題についてどうこうやるのは気恥ずかしいんだけど、そういう作品に触れた以上はやるしかないか。

社会の変化といえば、日本人の平均寿命は縄文時代だと10代半ばだったという(乳幼児が大量に死ぬためこういう数字になるけど15歳まで生き延びた人間に限定すれば平均寿命は30代になる)。弥生時代に本格的な稲作が普及し、江戸時代に平均寿命は40代になった。明治に西洋の科学技術が導入され、現代の日本人の平均寿命は80代を超える。

ただし新しい社会へ移行する時は常に混乱期があった。初期の農耕牧畜民は安定期の狩猟採集民よりも労働時間が長いのに栄養状態は悪かったといわれている。産業革命直後のイギリス都市部は平均寿命が20代になってしまった。日本でも高度経済成長期は公害病をはじめとする様々な社会問題が表面化した。混乱が収まれば安定期が訪れるのが常ではあるが、現代社会は安定する暇もなく混乱したまま進歩し続けなければならない社会のようにも思える。

矛盾のない社会も未だかつて存在したことがない。狩猟採集時代が食料生産革命を経て農耕牧畜時代に移行したことで社会が確立し、格差も生まれたといわれている(異説はある)。格差は農耕牧畜社会が産業革命を経て資本主義社会に移行したことでより強固になった。こうした矛盾を解決するべく生まれた思想が社会主義思想だが、少なくとも原理主義的な意味での社会主義革命は実現されないだろう。ただし社会主義思想の良い面を取り入れた修正資本主義が現在の資本主義の主流になっている(一部の社会主義国もかつては社会主義に資本主義を取り入れた修正主義者とみなされると問答無用で粛清されたものだけど、現在は……)。

社会に矛盾があることとその社会で生きる人間を皆殺しにしてもいいことは別の問題だ。ただし社会の矛盾を放置してもいいという意味ではない。社会の問題の解決のためには政治体制、社会体制、産業体制と様々な面での改革を根気強く行う必要がある。ある問題を解決すればきっと別の問題が生まれるだろう。それでもその社会に生きる人間の手によって少しずつ矛盾を解消していくべきだ。

 

 

自分で書いてて何だけど教条主義的な理想論ってただの空論に近い。世の中の作品のほとんどがありふれたテーマ性だけが先走った面白みの作品だと思う。そういう作品は読む人間が少ないから誰にも知られないだけで。