メモ帳用ブログ

色々な雑記。

黒山村の西暦525年の事件は、ずっと仲が良かった村の仲間たちが突然の天災(三眼の屍疫)に晒され、それまで気にも留めていなかった部分のあら捜しを始め、ついには殺し合ってしまったという構図だ。西暦1906年の事件も概ねこういう構図になっている。
ちなみに細かいところだけど、第6話で白小小の言った「事情を知らない子どもたち」というセリフも日本語版だと誤解を招きかねない部分がある。
(日本語版)
「それと阿毛たち…」
「まだ私の家の事情を知らない村の子どもたちまで巻き添えにできないし」
(中文版)
「而且…」
「阿毛他们,这村子里的孩子们怎么办?不能让他们被小女子牵连。」
(直訳)
「それに…」
「阿毛たち、この村の子どもたちはどうするの?彼らを私の巻き添えにはできない。」


日本語版の「私の家の事情」とは、第一義的には現在白家が生贄と見なされて既に両親が犠牲にされていることを指すようだ。確かに子どもたちは生贄や法屍者に全く気付いていないらしい。ただし会話の流れを考えると白家が過去の因縁から村の罪人とされている点まで含めて「私の家の事情」と言っているように読める。この場合、村の子どもたちは過去の因縁を全く知らないので私を差別しなかったというニュアンスが含まれることになる。
中文版だと、村の子どもたちは事情を知らないという内容は白小小の発言に含まれていない。もちろん村が突然現れた法屍者に生贄を捧げている現状を知らないことは明らかで、その点に関しては日本語版もずれてはいない。ただし過去の因縁を知っているかどうかについては、中文版では完全に白紙の状態だ。もしかしたら童謡をうっすら聞いたことはあっても全く気にしていないのかもしれないし、単純に童謡を全く聞いたことはないのかもしれない。いずれにせよ、法屍者が現れたことを知らないので、それ以前の童謡などまるで気にしていなかった頃のご近所付き合いを子どもたちと白小小は続けられた。
また、白小小が阿毛たちを「村の子どもたち」と見なしていることは日本語版と中文版で共通している。日本語版の「私の家の事情を知らない」「村の子どもたち」も、「村の子どもたち」の中で「私の家の事情を知らない」人は巻き込めない(事情を知っている村の子どもたちは巻き込んでいい)という意味ではなく、「村の子どもたち」はみんな「私の家の事情を知らない」から誰も巻き込めないという意味だろう。
白小小は村の大人たちから生まれた村の子どもたちを誰一人として巻き込みたくなかった。