メモ帳用ブログ

色々な雑記。

ミステリーって一見合理的なようでトリックと謎解きのために世界を歪めるジャンルだから、一歩引いて世界を把握するとアホみたいなことになる。ミステリーの世界に対するツッコミを題材にしたメタミステリは立派なサブジャンルだし、最近はミステリー漫画を公式にパロディした漫画もかなり話題になった。ほとんどのエンタメ的フィクションはツッコミどころだらけなもんだけど、ミステリーはなまじ合理的なように見えるから内輪からも外野からもツッコミが入りやすい。
ミステリーに限らずエンタメ作品でツッコミどころを目立たなくするために重要なのがワトソン的なサイドキック(助手・相棒)だ。作者が想定した通りの視点をサイドキックに持たせることで受け手の視点を誘導する。アトラクションのペラペラのセットの裏側に受け手が誤って入り込んでしまうことを防ぐ。
ホラーも没入感が楽しみの核になるジャンルだけに視点と感情の誘導が重要だ。作りものであることはわかってお化け屋敷に入っていても、お化けのキグルミから中の人間が見えたら興ざめだ。ホラーで定番の展開の、化け物だと思ってある種安心していたら正体が人間でびっくり、という展開のことではない。
出来事は同じでも作品の見せ方で受け手の見え方は全く別のものになる。当事者は必死になっていても俯瞰的視点からすれば間抜けなんてことはザラだ。「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」というチャールズ・チャップリンの言葉もある。
十分に楽しんだ後ならセットの裏側を見るのも楽しいけど、それはどうしてたって内輪的な楽しみ方だ。世界観そのものを楽しませる作品なら俯瞰的視点を強調するのも手法の1つだけど、それができるのは本格的な作り込みのある作品だけだ。逆にわざとメタ的なツッコミを入れさせようとしている作品も俯瞰的視点を強調できる。
日月同错は千年以上に渡る3人の伝承者の戦いを並列的に描く構成だ。当然読者には俯瞰的な視点が要求される。その上に黒山村のエピソードは、黒山村で食い合う者たち、同月令の誘導に従い介入する高皓光と黄二果、それを導いた姜明子、それを本で読む段星煉、と多重に俯瞰的な構成になっている。そのためセットの裏側、セットが入っている建物の手抜き工事、建物の地盤工事の施工不良…と多重にアラが目立つ斬新な構成になっている。
視点でいうと、三眼の過去語りから浮かび上がってくる自己中心性が気持ち悪い。自分の悪事の残虐性には触れないまま他人の悪事の残虐性は最大限に強調して、自分の被害者たちを内輪もめに持ち込む。しかも本人に悪意はなく心からそれが当たり前(天経地義)だと思っている。三眼の思惑に高皓光は全く対抗できない。三眼より遥かに強い姜明子は最初から最後まで傍観者に徹している。それでもまだ主人公が一度は完敗した強敵として描かれているなら救いはある。その点中文版の原作はともかく日本語版は…。