メモ帳用ブログ

色々な雑記。

南北朝の白大の事件も清朝の白小小の事件も、同月令に選ばれし人間が運命の操るシナリオに組み込まれて悲劇が引き起こされた。特に清朝の事件は主人公の高皓光が妙に現代的な正義感で村の問題に首を突っ込んで事態がどんどん悪くなったのに、最後には何もできず、守ろうとしたものは何も守れなかった。清朝的な価値観からすると、村長たちが弱者を犠牲にしてでも自分たちの身内を守ろうとしたことも、真相を知って力を得た白小小が村人を殺害したことも、どちらもそれなりにありふれていた。

高皓光が村の問題に新時代的な価値観で切り込もうとしたこと自体は素晴らしい。しかしこの時はなんの新しい答えも出せずに終わってしまう。この挫折は、現実的だし後の成長の布石にもなるとはいえ、後味が悪い。

南北朝の事件は、元凶は三眼だけど殺人の実行犯は村人だ。だから白大が殺害に加わった人間をなんとしても殺したい気持ちの正当性が主張しやすい。元凶である三眼の力を借りるしかなかった点も、被害者としての白大の立場をより確固たるものにする。目撃者の子どもが喋ってしまったことで白大は家族が殺された真相を知って復讐に走るが、到底隠しきれるような秘密でもないし、話すタイミングで何かが変わったとも思えないので、これはやむを得ないと思う。ただ、復讐を頼んだ三眼が白大の死体を使って仇討ちを果たしたことが千年以上に渡って禍根を残すこととなった。

清朝の事件は、元凶も殺人の実行犯も三眼だ。しかし村人のほとんどが積極的または消極的に白小小の両親の殺害に関与してしまった。三眼は生贄を要求したのではなく、家族が捕食を免れる引き換えとして村人の方から生贄を捧げてきただけだという。この真相と先祖が受けた不名誉の真実を暴露された白小小は、先祖の罪も合わせて村人は皆殺しにすべきだと言う。そして村の大人を皆殺しにする。ただ結果として破滅するものの、村の子どもたちは殺せなかった。

暴露を聞く直前まで白小小は外の世界で生きることにある程度前向きだった。また、もう少し冷静になれるタイミングと話し方さえ選んでもらえれば、殺す村の大人はもっと少なくて済んだはずだ。そうすれば白小小が村の外で生きられる未来もあったかもしれない。

閉じた村に人間を食らい続ける屍者さえ現れなければ、こうした悲劇は起こらずに済んだ。しかし屍者とは現状では天や運命に従う存在だという。

姜明子はこうした一連の悲劇は運命に操られたために起きたことを知っている。そのため運命に終止符を打ちたいと考えている。そして心から屍者を嫌っている。

高皓光も必ずしも姜明子と同じではない方法ながら悲劇をなくしたいと考えている。

高皓光の日記を読んだ段星煉も運命に抗いたいと考えている。