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色々な雑記。

嘉靖年間の吏部左侍郎である何孟春の著した『余冬序録』には太祖の頃に起こった次のようなできごとが記されている。
明代の初め、青州日照県の民、江伯児の母が病んだ。脇の肉を切り取って食事にしたが、治らなかった。岱岳に行って祈り、母の病が治ることを願った。そこで、子供を殺して祭った。その後母は治った。そこで、三歳の子を殺して祭った。この事を聞いて、太祖は怒って言った。「父子の天倫は至って重い。礼によれば、父が長子ならば、三年喪に服する。今庶民が自分の手でその子を殺すのは、倫理を絶滅することで、直ちにこれを捕らえて罪に問う」と。そこで、伯児を逮捕し、杖百叩きの上、海南島へ流刑に処した。(『余冬序録』巻一、『四庫総目』子部巻一二七)
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中国にも日本にも「姥捨て」の伝承があるが、実在を示す資料や証拠は発見されていない。しかし「子殺し・間引き」は伝承だけでなく実在までが確かなものとされている。