メモ帳用ブログ

色々な雑記。

姜明子はいけ好かないキャラだけど、作中で一番「わかっている」ポジションに設定されているのは認めざるを得ない。
屍者になると、最初は正気でも徐々に堕落したり記憶や人間性が摩耗したりして、簡単に人間を殺すようになってしまう。
かなり人間性を保っている上官宵でさえ獲物にする罪人の基準はどんどん雑になっていった。日月同错はシビアなストーリーで、時にどうしようもなく殺人(法屍者も人に含まれる)を犯さざるを得ない場面もあるけど、私刑による殺人を思考停止で肯定するほど開き直った作風ではない。高皓光が黒山村で傍観者となり惨劇が引き起こされた際も、姜明子は高皓光が眼前のひとりひとりに対してそれぞれの運命と向き合うのと同じように、一切の顛末を見届けることを求めた。
まして人間としての自分の名前を忘れ、無造作に周囲の人間を餌食にしていた三眼の人間性の喪失具合は上官宵と比較にならないほど深刻だ。せいぜい三川の獣化能力のある法屍者よりは少しマシな程度だろう。
三眼は姜明子に自害させられた際の記憶を自分の都合のいいように改変して語り、姜明子から白い目で見られていた。
村から離れた白大を自分が殺そうとしたことにも全く言及していない。瀕死の白大は洞窟で三眼を見つけ、仙丹と引き換えに復讐を頼んだが、それが三眼にとって2人の初対面ということになっているらしい。
三眼は南北朝時代も清代も村の仲間割れの元凶だったのに、まるでその自覚は持たず、邪悪なのは村人だけだと言わんばかりの態度だった。意図的な嘘はないとはいえ、記憶や認知の歪みが明白な以上、厳密に考えるなら三眼の証言は全て信頼できないことになる。しかしその三眼以外に証言者がいないので、誤認が明らかな部分以外は三眼の発言をもとに真相を考えるしかない。
三眼はとても「讲究信义之辈(信義を重んじる人)」とは思えない。でもそう言ってるのは村長だし、本人は自分については借りは必ず返すのがモットーとか天経地義だとか言っているだけだ。だから自分に都合がいいように南北朝時代と清代の村人の悪事を告発した点はまあいいとしておく。ついでに南北朝時代は千年以上前で、当時はまともな記録を残せるような状況ではなかった。黒山村の口伝の怪談に含まれるデマが清代の村人の悪意のせいで生まれたのではないのと同じくらいには、三眼の記憶違いだって三眼の悪意のせいで生まれたのではないと言えるかもしれない。
三眼の行動で最も問題なのは、人間を個人ではなく家単位で認識することを肯定し、南北朝時代の真の罪人は村人だと断定した上で、村人全員への借りを返すための私刑を白小小に勧めたことだ。更にその手段となる暴力を与えると誘惑した。白小小は暴力的な村人や三眼に囲まれ、縛られたままで三眼の話を聞かされ続け、暴力で村人を私刑に処すことだけが自分の解放される道だと思いこんでもおかしくない状況だった。白小小は三眼の思惑どおりに三眼と村の大人たちを虐殺してしまった。しかし村の子どもたちは殺せず、三眼の生み出した血の因縁を断ち切ることができた。