メモ帳用ブログ

色々な雑記。

フィクションのドラマ性は作中でどれだけ高い壁を乗り越えられるか、壊せるかで決まる。現実では困難なことや許されないことを成し遂げる程にドラマ性は高まる。愛する人を守るために世界を敵に回すとか、既得権益層を敵に回す革命劇とか、そういったものはわかりやすくドラマチックだ。
だからこそその克服の見せ方が雑だとガッカリさせられる。思い入れのない人間が大勢を敵に回していても醜悪なだけだし、打ち壊されるべき高い壁があからさまにスカスカなハリボテならげんなりするだけだ。せっかく現実では越えられない高い壁を設定したのなら高品質に乗り越えてほしい。
雑でも勢いがあれば見ごたえがあるけど、雑な上にしみったれていたら最悪だ。
初対面の相手が作り物の壁を壊していても見入ってしまうようなリアリティが要る。世界観のデフォルメの方向性の統一というか、リアリティレベルの統一というか。わざとリアリティレベルを不統一にしつつ調和させるマジックリアリズムは、あれで別方向の難易度が高いし。