メモ帳用ブログ

色々な雑記。

三眼は普通の人間なら食べてもいいが、特別な人間(恩人の子孫など)は食べてはいけないと考えている。
趙炎・上官宵は普通の人間は食べてはいけないが、悪人なら食べるのは仕方がないと考えている。
どちらも犠牲を出し続けることに開き直っていて、本当に正しいとは言い難い。一方で屍者を殺して当然と考えている姜明子や周六晴も、作中では必ずしも正しくないとされている。犠牲を出し続けることに開き直っている点は変わりがないからだ。
こうした大人たちに対し、子どもである高皓光は争いの源を解消したいと考える。それが三真法門の使命でもある。
ところで、こういう人間しか食えないモンスターを題材にする作品って、最初から相手を和解すべき人間みたいに扱う場合はだいたい最終的に人食いの問題を解決できるオチがつく。そうじゃないとエンタメとしての成立が難しくなる。ただし最終的な和解が見え見えだと気持ちいい悲劇性や緊張が薄れやすい。人食いものってそういう耽美ぶりが持ち味なのに。最後にいきなり解決法が出てくると茶番じみてしまうけど、トータルではそっちのがエンタメとして楽しめたりもする。
人間しか食えないモンスターを人種や病として扱わず、動物や人間をやめた存在として扱うなら、やはり人権のたぐいの正義じみた何かは持ち出さないほうがお互いのためだ。人間は化け物が人間じゃないから容赦なく駆除できるし、化け物も人間は同類じゃないから遠慮なく獲物にできる。かといって、人間の側が正義じみたものを持ち出したいなら、相手が化け物でも不要な乱獲は避けるべきという話になるけど。
人間が化け物を人権のある人間として扱うなら、病の治療と根絶のために全員を強制入院させるしかない。治療法が見つかるまで「入院」させつづけて餓死してもらうのが人道的な扱いということになる。