メモ帳用ブログ

色々な雑記。

黒山村では三眼の方から村人へ生贄を差し出さなければ皆殺しするという脅迫をしたと言われていた。白小小もそう信じていた。三眼は怯えるべき存在だという認識が当時の村にあったことは明白だ。村長が三眼を素晴らしい存在として語り村人がそれに異を唱えなくなっていたのは、高皓光の言うとおりの誤魔化し・言い訳が進行した結果にすぎない。村の人間が昔はこうでなかったということは白小小が断言している。
まず、いつ機嫌を損ねて村を皆殺しにするかわかったもんではない屍者の傘下に入ることはリスクも恐怖も大きい。いくら清末の動乱期で馬賊も跋扈しているとはいえ、冷静に判断できるならまずしない選択だ。三眼が村を守っているというのは、誤った選択により陥っている現状を変えないことへの言い訳だ。
ただ、三眼の支配下にある3つの村のから生きて逃げられた人間がいないというのは本当だろう。村人には三眼を倒す力はないし、通りかかった求法者もみんな返り討ちにされているという。高皓光に協力しても返り討ちにされたら協力者は殺される。現状を作った者に責任はあっても、村人が現状を変えられないこと自体はどうしようもない。
白家は罪人の家だから生贄にされるというのも言い訳だ。黒山村の村人と白家の間には千年以上諍いはなかった。実態のある怨恨は風化していた。それを蒸し返したのは生贄にするのに都合がいい口実だったからに他ならない。村長は白家の次は通行人を生贄にすると言って、高皓光に義のなさを指摘されている。また三眼も、いくつかの村の年寄りたちは自分たちの都合に合わせて生贄を選んだけだった、つまり義はなかったということを暴露している。三眼の挙げた理由を参考にするなら、白家は孤立気味だった点が生贄にするのに都合が良かったようだ。
白小小の父親は生贄を引き受けるときに「没有办法… 就当还债了。(仕方がない… 借りを返したことにしておく。)」と白小小の母親に告げていた。この時点では白家の人間も先祖の借りというのが難癖であると理解していたが、逃げ場がないので受け入れざるを得なかった。また村の人間を最低限信頼していた。しかし白小小は逃げ場のないまま母親と自分に生贄を押し付けられるうちに、先祖の罪を問われるのは仕方がないと思いこまされるようになっていった。白小小は両親を生贄にされたことに不満はあったが、その恨みは先祖の罪を子孫に問うという構造でなく、罪を犯したとされていた先祖の白大に向けられた。しかし山の外に出られれば、「那里的人… 应该不会知道我们家是有罪之身吧?(そこの人は… 私達の家が有罪の身だと知らないはずよね?)」 ということは理解していた。
黒山村の選択で根本的に間違っているのは、村長たちが自分の家族を見逃してもらうのと引き換えに生贄を提供すると自分から持ちかけてしまった点だ。脅迫されたという嘘とは村長の責任の重さが全く変わってくる。この点や現在の罪を焦点にして復讐を行ったのだったら、白小小にも違った運命が待ち受けていたのかもしれない。しかし白小小は先祖の罪まで含めて現在の村人に問う道を選んでしまう。そのため破滅したが、現在で完全に無罪である子どもたちを前にして我に返ったため、最期に救いを得ることができた。