メモ帳用ブログ

色々な雑記。

三眼は静かに長生きすることを望んでいた。趣味が苗木を植えることだというのも、そうした価値観を反映している。木は1つの個体が静かに長生きする。苗木は三眼にとっての理想の自分を投影した分身というか、子どものようなものだろう。苗木に対する愛情は貸し借りとは別の次元の話だ。
三眼にとっての執着の示し方は縛り付ける方向に発揮されるようだ。木は1つの個体だし、植えた場所から動いたりしない。植えた場所に行けばいつでも観察できる。
三眼はそうした価値観を「恩のある」「人間」の子孫という苗木と対極の存在である白小小にまで適応させてしまった。そのため白小小は亡くなった。三眼は白小小に村人から借りを返させるよう促したが、貸し借りの連鎖の中に閉じめてしまい、山の中に閉じ込めてしまいそうになった。
白小小は高皓光たちと出会った時は山の外に出ようという気力もなく死を望んでいた。罪人とされていた先祖の白大を恨んでもいた。しかし高皓光たちと会話するにつれて山の外で生きていくことに希望を持つようになっていた。山の外は先祖の罪と無関係な世界であることも知っていた。それでもこの時点では村のみんな、特に子どもたちに愛着を持っていたために、見殺しにして逃げることができなかった。そんな白小小のいかにもな模範解答に対して高皓光と黄二果は憤った。三眼も憤ったが、この2組の不満は方向が違う。高皓光と黄二果の不満は、白小小が悪いのは村人でなく自分の家の罪だと思っていることにある。それに対して三眼の不満は、白家が罪人だと信じられているせいで子孫を誤って食うという借りを作ってしまい、さらに子孫には借りを返すために手助けすべき復讐を行う気がなさそうな点にあった。三眼は白小小に先祖が受けた不公正と現世で自分の家が受けた不公正の両方を復讐するように勧め、千年前の真の罪人が村人の方であることを証明する記憶を見せた。そして白小小が借元真目を操作できるようにするために、自害の命令を出させた。白小小は先祖がやったことと現在にやったことを考えれば黒山村の人間は全員死ぬべきだと言い、村の大人たちを皆殺しにした。だが村の子どもたちを殺すことはできず、子どもたちから家族の仇として刺し貫かれた。三眼からすると千年前の恨みは実感のあるものだったのだろうが、白小小からすると千年前の恨みは現在の恨みを晴らすための口実であり、その罪深さに気付いてしまった。千年前の先祖と子孫がたまたま似たような罪を犯したとしても再犯ですらない。過剰な復讐に走った白小小は死んでしまう。三眼は白小小に真実を教えただけでなく、先祖の恩讐が子孫に受け継がれるという思い込みを肯定し、両親のところへ行くという願いを叶えたとも言える。これは嘘をついたまま死ぬことで白小小を守ろうとし、先祖の因縁と無関係な山の外に出したがっていた彼女の両親とは正反対の行いだ。三眼の言葉に乗ってしまった白小小だが、先祖の因縁に囚われるのは間違っていたと最後に気付いたことで山の外に出られた。そして街の見た目をした天の国で両親と再会できた、と認識した。高皓光は白小小を山の外に出すことはできたものの、街で生きて行かせることはできなかった。白小小が先祖の因縁から開放される直接の手助けもできなかった。
三眼は借りの清算を最優先にして死んだ。その代わりに、死に際に愛着のある木ともう生きていけないことに気付いて、やはり負けたと悔いを感じた。一方で、白小小は借りの清算のために村人を皆殺しにすることができないまま死んだ。その代わりに、愛情を注いだ村の子どもたちの命を奪わなかったことにより、山の外に出られた。
三眼が最期に見た木に愛情を感じていたことはわずかに残された人間性の表れだ。長期間特別な関心を注いだ相手という点では苗木と白家に重なる部分がある。苗木は山から出すまいとするという三眼の執着のあり方を示す存在ではあるし、そうした執着は白家に対しても注がれた。だが比喩とまでいうには、両者で重ならない部分が無視できない程に言及されすぎている。もし触れていなかったら比喩と考えたほうが妥当だった内容にわざわざ言及している。「一目でその中からお前を見分けられる。一千年前俺が動けるようになった時に、すぐ植えたお前。」という三眼の独白は白家には全く当てはまらない。白家の比喩だったら例えば、ようやく見分けられた、一千年前に出会ったお前、のようになるはずだ。三眼が白大の妹の子孫に白姓を名乗るように勧めたわけでも、一族滅亡の危機から救ったわけでも、黒山村に再移住させたわけでもないのに、「一千年前俺が動けるようになった時に、すぐ植えたお前。」と喩えるのは無理がある。三眼は白小小の両親を気付かずに食べた挙げ句、傀儡の借元真目越しに白小小を見ても白家の人間だと気付いていなかった。それに対し高皓光からは姜明子を連想している。千年も見守っていたのなら清末だけ確認しなかったのも不自然だ。また、最後の休眠に入った後の200〜400年の間に白家が移住したのだったら、流石に元の村にも黒山村にも白家にももう少ししっかりした記録が残っているはずだ。白家は清末も薬師の仕事を受け継いでいるのだから文盲ではない。千年前だったらまだ記録が紛失しているのも納得しやすい。ただ、白家の子孫が黒山村に戻ったこと自体が不合理なので、何とも判断しにくい。