メモ帳用ブログ

色々な雑記。

進撃の巨人には、人はいつ争いをやめるのかという問いに「人類が一人以下まで減れば 人同士の争いは不可能になります」と皮肉げに返す場面がある。他人が存在する限り人類は争いをやめないのかもしれない。しかし争いを恐れて一人になるよりは、争いが起きる可能性と向き合いつつ他人の存在を認めたほうがいい、というのが作品としての基本姿勢のはずだ。
進撃の巨人は終盤セカイ系的な要素が強くなる。セカイ系はセカイを自由にできる主人公が他人の存在をどう受け止めるのか、という点がクライマックスの焦点になりがちだ。元祖セカイ系新世紀エヴァンゲリオンもそうだった。旧劇場版も、絵面こそ陰惨だったが、一応は傷つけ合いながら他人と生きることを受け入れる終わり方だった。