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色々な雑記。

第6話で三眼が能力の説明をした部分の日中の違いをおさらい。
(日本語版)
操る相手は生きてようが死んでようがどちらでも構わないけどこの眼を通して傀儡と意識が繋がってるから
意識があると体が拒絶反応を起こして四散してしまう
操ることができるのは体だけだけどどうせ操るんだし
はじめから死んでてくれたほうがラクかな
(中文版)
被此目所施放的术法击中之人或者死人,都将成为咱的傀儡,可以控制它们的四肢,可惜只能四肢。所以还是死尸好用。
咱也可以把此目借与傀儡,当然,
只要咱意识健在,就算身体四分五裂。
此神通依然会由咱所控。
(直訳)
この目から放たれる術に当たった人間や死人は、オレの傀儡になって、そいつらの四肢を操れるようになるが、残念なことに四肢だけだ。だから死体の方が扱いやすい。
傀儡にこの目を貸すこともできる、当然、
オレの意識がある限りは、たとえ体がバラバラでも。
この神通力は依然オレが制御する。


「只要咱意识健在,就算身体四分五裂。」は「オレの意識がある限りは、たとえ(オレの)身体がバラバラでも」という意味だ。日本語版はなぜか「傀儡の意識があると、傀儡の身体がバラバラになる」という意味で訳しているようだ。

中国語には只要A就算B也C。(Aである限りはたとえBでもCである。)という定型句がある。これを変形して「咱也可以把此目借与傀儡,当然,只要咱意识健在,就算身体四分五裂。(傀儡にこの目を貸すこともできる、当然、オレの意識がある限りは、たとえ体がバラバラでも。)」としている。

④(上文で述べた事柄を補充する場合.)
用例
我们必须按照具体情况解决各种矛盾。当然,在解决了这些矛盾之后又会出现新的矛盾。=我々は具体的状況によって各種の矛盾を解決すべきだ.当然のことだが,これら矛盾の解決後また新たな矛盾が発生するが.