メモ帳用ブログ

色々な雑記。

敵が自称自然の法則な作品は結構多い。一昔前だと地球=ガイアが人類というガン細胞をアポトーシスしようとしている!みたいな作品は食傷気味になるくらいあった。だけどありふれた題材でも料理の仕方に作者や作品の個性が出る。
日月同错は中国的価値観がベースの作品だから、屍者が自然の法則を名乗ることはおそらく設定として正しい。そしてそんな残酷な自然の法則=天意・天命・宿命を変えようということがテーマになっている。作中でも出た「改天换命」が重要なキーワードだ。
鬼滅の刃でも敵の鬼の中には自然の法則を行っているだけだと主張する者がいる。だが鬼は大体の場合で主人公たちにそんなものは自然の法則ではないと一蹴される。そもそも首魁の無惨が表裏一体の生と死という法則を無視して永遠に生きようとしている存在だ。鬼滅の刃は仏教的な価値観がベースの作品なので、鬼たちは偽りの言葉や煩悩で人間を正しい道から遠ざけようとする魔に近い存在なんだろう。無惨が自分を自然災害になぞらえるのも単なる思い上がりだ。
進撃の巨人はあまり自然どうのを意識した作品ではない。でも、生命は死という法則から逃れられないのになぜ生きるのか、という点をテーマに含んでいる。後半は多くの登場人物が様々な答えを模索していく。死や生から逃れようとするだけでは生にも死にも負けるだけだから、死と向き合って生を勝ち取る、みたいなところが一応の落としどころと言えるかもしれない。それでもジークのように生や死から逃げた人間も無碍に否定している訳じゃない。進撃の巨人は様々な人間が存在することが大切だという作品だ。例えば自由に対する姿勢でもリヴァイ兵長とハンネスでは正反対だ。エレンも独自の考えを持っている。そして考えには簡単に優劣がつけられないからこそ争いが起こるという点からも逃げていない。