メモ帳用ブログ

色々な雑記。

多角的な視点を書こうとする作品はうまく仕上げるのが難しいけど志が高いことは間違いない。日月同错の黒山村編は、白家の人間も、阿毛の母親をはじめとするそれ以外の村人全員も、人間の一人一人の気持ちが同じだけ尊いからこそ起きる悲劇を描こうとしてた。両親を殺されて悲しんだ白小小の気持ちと、両親を殺されて悲しんだ阿毛をはじめとする子どもたちの気持ちは、それぞれが同じだけの尊厳を持つ。村長でさえ家族を守ろうとして白家に犠牲を押し付けてしまったことは三眼が証言している。一人一人の気持ちが尊いからこそ、人間は多数派が少数派を押しつぶすという醜い行いに走ってしまい、武力を得た少数派が多数派を虐殺するという悲劇が起きる。そして人間一人一人の気持ちを上から押さえつけるものが天命であり自然であり屍者だとされている。屍者でさえ天意に弄ばれている。
進撃の巨人は多角的な視点がうまく書けている作品の1つだ。人類のために心臓を捧げると誓った調査兵団の面々、調査兵団の長であるがゆえに大義と個人的な夢の間で葛藤していたエルヴィン、自由を求めながら仲間の未来を願ったエレン、ウォール教のニック司祭、中央第一憲兵のサネス、対人立体機動部隊のケニー、レイス家当主のロッド、全員に全員の理想があり、同時に何かの奴隷であることが描かれている。こうした姿勢はマーレ編でも重要になる。ガビ、ライナー、ライナーの母親、エレンが踏み潰した異民族の兄弟、全員にエレンと等しいだけの心がある。そしてエレンは誰よりもそれがわかっていながら凶行に走るしかなかった。