メモ帳用ブログ

色々な雑記。

善を善く生きることと捉えて、善を成し遂げるために正義を形作る、つまり善は正義に対して優越するという考え方は好きだ。
自分は真偽と善悪なら基本的に真偽を優先したい。でもバイオテクノロジーにおける生命倫理とか、その他の問題で真偽よりも善悪が優先される場面があるのには納得できる。それは善いことだと思う。
成果を目的とした研究よりも、研究のための研究のほうが何事にもロマンがある。ただ研究に莫大な費用がかかる分野では、予算の分だけ成果が求められるようになるのは仕方がない。近年特にそうした傾向が高まっているのも当然の流れだ。
とはいえ合理化よりもロマンに憧れる気持ちは当然ある。そうなると現世における神の摂理の追究を教義に含んでいるキリスト教は結構好感が持てる。キリスト教は研究のための研究や、芸術のための芸術に力を入れてきた伝統がある。地動説を弾圧したのはキリスト教だけど、地動説を復活させてより洗練させたのもキリスト教だ。自分は一応浄土真宗だけど、仏教は真理とは現世から解脱することとか言って現世研究に予算を出してくれそうにない。この2つ以外の宗教はよくわからない。