メモ帳用ブログ

色々な雑記。

鬼滅の刃は昔の宮崎駿監督が批判していたところの時間や空間がキャラの意識によって引き伸ばされる講談調の日本アニメ・漫画そのものだけど、自分は好き。宮崎監督と違って「アニメ」でなく「アニメーション」でなければならないというこだわりがあるわけでないので。ジョジョとかも好きだし。昔の宮崎監督が名指しで批判していた虫プロのリミテッドアニメーション(あしたのジョーとか)も好き。日本アニメ・漫画が講談調なのって手塚治虫先生より梶原一騎先生の系譜かな。
梶原一騎荒木飛呂彦吾峠呼世晴
ただ吾峠呼世晴先生は読み切りでは言葉の少ない漫画も描いているし、色々な系統から影響を受けているんだろう。
今の漫画業界には多様な作風の漫画があって、ナレーションやモノローグによる説明が多い漫画にも、花の24年組から始まって少年漫画にも輸入された余白を読ませる系統の漫画にもファンは多い。両方好きな人も少なくない。
少年漫画で余白を読ませる系の走りだとあだち充先生は有名どころだ。
高畑勲監督曰く、タッチのアニメはキャラクターの表情も受け手の察する能力によって推し量るようになっているそうだ。

あだち充先生は元マガジン愛読者で梶原一騎先生のファンだったけど、自分がそっちで勝負できないので別の方向を模索したという。
ただ、余白を読ませる系はあくまで共感がメインになる作品向けの作品というか、受け手が余白に対する知識を持っていることが前提になる作りだ。新たな世界を見せるような作品には向かない。SFとかは言葉が少ない作品もその分映像による説明が饒舌な場合がほとんど。いかに説明や設定で楽しませられるかというジャンルだ。
あだち充先生の作品でSFテイストが強いいつも美空は、いかにもなジュブナイルSF風とはいえ、余白が多すぎてふわふわしすぎてぱっとしなかった。
それに余白を読ませる系は受け手に自分の引き出しを開けさせる作風だから、適切な引き出しが備わっている受け手を相手にできないとどうにもならない。H2で終盤の比呂の真意を理解できない人は結構いる。比呂は一部の読者が誤解しているほどには良くも悪くも図太くない。ひかりも彼とうまく行っていない時に家族に不幸があって気弱になったけど、最終盤だけでいきなり転ぶほど優柔不断じゃない。転ぶならもっと早い段階からはっきりそういう展開になっていたはずだ。