メモ帳用ブログ

色々な雑記。

風立ちぬの二郎がもし国を憂う愛国者だったら、当時の政権や軍に物申して国家弾圧を受けたかもしれない。作中でも言及されたユンカース博士のように。これを教えたカストルプ(ゾルゲ)は、自分の協力者になることを期待して二郎に接触してみたと考えられなくもない。だが二郎はカストルプの言葉を無視し、多くの不穏な前兆を無視して、目の前の仕事に励んでしまった。その結果、自分が力を尽くして国を滅ぼしたという破綻に直面することになる。
映画の冒頭を見ればわかるように、二郎ははじめから飛行機を作る道を目指していたのではない。むしろ二郎は最初はパイロットになりたかった。だが近視のために挫折して航空技術者を目指すようになった。ロマンアルバムによれば二郎は近視がコンプレックスのキャラだという。
二郎はメフィストであるカプローニと出会う前に見た夢の中で、いかにも悪玉風の巨大な飛行機を、自分の操縦するいかにも善玉風の飛行機で撃退しようとしていた。いかにも19世紀末から20世紀初頭に書かれたSF風の世界観だ。天空の城ラピュタの企画書でいう「まだ人間が世界の主人公であり、人々の運命は、自分によってかえることもできるし、切り拓くことのできるものと信じられる舞台」のようだ。これが二郎にとっての夢と理想の原点だろう。
二郎は下級生を複数人でいじめる同年代の悪ガキに立ち向かったりと、決して正義感のない少年ではなかった。大学生の二郎も関東大震災の際に見ず知らずの人間を助けた。大人になってからも、飛行機の設計という仕事は単に自分の夢であるだけでなく、何らかの大義のためにもなっていると思い込みたがっていた節がある。仕事にやりがいを感じるとはそういうことだろう。その大義とは、国防なのか、強きを挫き弱きを助けるということなのか、もっと大きく漠然とした正義なのかは、二郎自身ろくに把握していなかったようだが。ともかく、飛行機を作れさえすればそれで国が滅んでも本望とは考えていなかったことは確かだ。
二郎は飛行機を作る夢を叶えた結果、その夢の原点を裏切ってしまった。子供の頃は立ち向かった悪ガキたちにそっくりな軍人たちに、形だけは従うことさえした。これが二郎の挫折だ。悪ガキたちと軍人たちは暴力にものをいわせる人間である点だけでなく、一方的に要求をまくしたてる喋り方などの演出においても類似性が強調されている。