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宮崎駿監督は在りし日のガイナックスが制作した『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を高く評価している。だからこそお小言も言っている。

宮崎は『王立宇宙軍』が若者の状況と気持ちを描く映画である事を理解し、その上で、作り手が状況を突破する気がないと言っている。現実を突破する気がないというのがどういう事かというと、ロケット打ち上げに成功して、それで生き甲斐を感じたとしても、ロケットはその後、軍事利用されるだろう。シロツグはそれに参加するか、リイクニとビラを撒くか。そういった人生を選ぶしかない。そうやって現実にからめとられてしまうのだ。そういったストーリーにしているのは、状況を突破する気がないからだ。順序立てて話されているわけではないが、整理すると、そういった内容になるようだ。それに対して、山賀は、現実を突破する事を描くのではなく、その過程にいいものがあるのではないか。それを伝えるのが、この作品の狙いだと言っている。

そしてこのお小言が自分自身にも跳ね返ることを対談の中で自白している。

そこでロケットを飛ばした結果、生甲斐をそこで感じても、次にまた現実にからめとられるだろうという中に生きているという、やりきれなさもよく分かる。だから、俺だって、アナクロニズムのマンガ映画をわざと作っている。

宮崎監督は『風立ちぬ』で『王立宇宙軍 オネアミスの翼』に近いテーマとモチーフを扱うことになる。宮崎監督が庵野監督を二郎の声優に指名したのは、若き庵野秀明監督もとい庵野さんが『王立宇宙軍』では作画監督の一人だったことから着想したのかもしれない。ちなみに『王立宇宙軍』の企画成立においては、庵野さんが関わっていることから宮崎監督の後押しがあったという。二郎が安い親切心を本庄に偽善だと指摘され、自分たちの作っている飛行機にどれほどの金がかかっているかわかっているのかと叱られるシーンも、『王立宇宙軍』のあるシーンを彷彿とさせる。ただしシーンの意味付けは異なっている。これはそのまま制作者や作品のカラーの違いにも繋がっている。