メモ帳用ブログ

色々な雑記。

変更前の「あなた、来て」にしろ、変更後の「あなた、生きて」にしろ、菜穂子の言葉は死後も変わらぬ二郎への愛を伝える言葉だ。二郎を許す言葉とも言える。
二郎は何をするにも飛行機という夢への思いだけは揺るがなかった。その結果国を滅ぼした。菜穂子を一人で高原病院に戻らせてしまった。黒川が菜穂子を山の病院へ戻すように勧めた時も、「私が飛行機をやめて付き添わなければなりません」と菜穂子と離れるつもりがないことを宣言した上で、「それはできません」とどちらも捨てられないことを告げている。
黒川は二郎に菜穂子を一人で山に戻すよう勧めたつもりだったはずだ。堀辰雄の小説『菜穂子』で菜穂子の夫である黒川圭介がそうしようとしたように。黒川圭介は現実的なしがらみだけでなく菜穂子の体も慮ってそうしようとしたのだろう。だが二人だけで暮らそうと提案されることを期待していた『菜穂子』の菜穂子は落胆する。それに対して映画『風立ちぬ』の菜穂子は内心の期待通りの言葉を伴侶からかけられた。二郎も今度は菜穂子の父親に流された時とは違い、自分は菜穂子と暮らすつもりだとはっきりと意思表明した。だが飛行機の仕事も捨てられず、菜穂子に常に付き添い続けることができなかった点には後ろめたさが残っていただろう。
終戦後、夢の世界で菜穂子から許しの言葉をかけられた二郎は、涙を流しながら「ありがとう ありがとう」と呟く。二郎は菜穂子から二人の夫婦生活を祝福されただけでなく、飛行機に全てをかけて破局に至った人生そのものを許された。
宮崎駿監督は映画『風立ちぬ』には堀田善衛先生のエッセイ『空の空なれば』の影響が強く出ていることを明言している。『空の空なれば』では聖書『伝道の書』の解説が行われており、カプローニの「力を尽くしたかね」という言葉も『伝道の書』から取られているという。『伝道の書』は、この世の儚さと、仕事に力を尽くして善く生き、神を信じることの意義を説く内容だ。

ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。
伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
……
若い者よ、あなたの若い時に楽しめ。あなたの若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心の道に歩み、あなたの目の見るところに歩め。ただし、そのすべての事のために、神はあなたをさばかれることを知れ。
……

人の行いは誰かから承認されることなしに意味を持つことはできない。キリスト教では人生の意義を保証するのも人を裁くのも究極的には神の役割だ。

やや異教的な色彩のある『伝道の書』でもそれは踏襲されている。
映画『風立ちぬ』で最後に二郎たちがいる場所は煉獄だという。煉獄とは地獄に行くほどではないがすぐに天国に行くこともできないほとんどの人間が罪を清める場所だ。まだ神からの許しを得られない二郎に対して、菜穂子は神の代わりに許しを与えようとしたのかもしれない。もしくはゲーテの『ファウスト』で主人公・ファウストが悪魔メフィストフェレスに魂を奪われそうになった際にヒロイン・グレートヒェンが救ったように、夫が神に救済を受けられるようにとりなしたのかもしれない。
風立ちぬ』で繰り返される「美しい」とは『ファウスト』の「時よ止まれ、お前は美しい」のような意味での「美しい」だろう。