メモ帳用ブログ

色々な雑記。

スキゾ・エヴァンゲリオンとパラノ・エヴァンゲリオンで探していた本題の部分。

竹熊 宮崎さんに言われて、今まで残っている言葉は、何かあります?
庵野 確か毛沢東の言葉だと思うんですけれども。物をなし遂げる三つの条件っていって、若いこと、貧乏であること、あとは無名であること。この三つが揃っていればできるというのを言ってましたね。僕らが『王立宇宙軍』を製作した時も、その意味で応援してくれたんです。若い連中がそういうことをするのはけっこうなことだと。あがったものを見て怒ってましたけど(笑)。
大泉 何が怒らせたんですか。
庵野 宇宙軍の将軍が、最後に(ロケット打ち上げを)あきらめるじゃないですか。ここに宮崎さん、ひっかかったんですよ。「いや、あそこであきらめないんだよ」って。
竹熊 いかにも宮崎さんですね。
庵野 まあ、監督の山賀から見た中年のおじさんっていうのは、最後にあきらめる連中なんだってことですね。
竹熊 それは山賀さんから見たおじさん世代の、典型的なダメさを描いたわけでしょう。
庵野 宮さんは、俺はそうじゃないと(笑)。それから宮さんって、ああいう実写風のロケットが許せないんですよ。実際にある形のロケットなんかつまらないって。根がマンガ映画の人だから、山に滑走路を作って打ち上げるとか、ガーッと、誰も見たこともないような方法で打ち上げろって言うんですよ。そうしたら山賀は「そんなのマンガじゃないですか」って(笑)。
竹熊 山賀さんは、マンガはやりたくなかった。映画がやりたかったわけでしょう。
庵野 ええ、マンガだと思われたらおしまいだと。


映画を見る限りだと、将軍はただ弱気になって打ち上げを断念しそうになったのではなく、シロツグたちの身を案じた面もあったように思える。これまで若者を有人宇宙飛行の犠牲にしてきた将軍だったが、親しくなったシロツグたちが実験の失敗でなく敵軍の進行によって死ぬ事態は流石に避けたかったのではないか。ただしシロツグはそれでも打ち上げは続行すべきだと主張し、宇宙軍の若者たちや将軍は感化される。
宮崎監督としてはこのような状況でも将軍はあきらめを口にすべきでなかったという立場だ。その信念は未来少年コナン終了直後に応えていたインタビューからうかがい知ることができる。

毛沢東にしろ何にしろ、歴史を動かしていこうとするのは悪人だから、ラオ博士は悪人だと思う。あの人は世界を滅亡させた責任を感じて次の世代に橋渡しをするために生き恥をさらして来たんだけど、インダストリアが自分で解放する力を、つまりラオやコナンが何かやったから住人が地下から出て来るんじゃなくて、ルーケ達が自分で立ち上がって、地下を抜け出して新しい生活を作ろうという力がなかったら、場合によってはラナが犠牲になることもあえて辞さない男だと思うんです。ヒューマニストじゃないと思うんですよ。ヒューマニストは一人も出したくなかったんです。
よく人質をとって脅すとたいてい屈するでしょう。見通しがなくても屈する。「ガメラ」なんか少年が二人くらい人質になると、二人の少年のために地球防衛軍が降伏するんですよね。そういうことは、絶対に許されないことだと思うんですよ。何万人人質になっても降伏しないものだと思うんです。どうしても譲れないものがあったら屈しない人の方が好きですね。

宮崎監督の言うことは、単に多のために少を犠牲にするべきということではない。自分の信念があるなら何万人を犠牲にしようともそれを貫けということだ。宮崎監督からすると、王立宇宙軍の将軍が打ち上げを断念しかけたことはまさに「絶対に許されないこと」なのだ。宮崎監督のこうした姿勢を知ると、宮崎監督がナディアのネモやエヴァのゲンドウのモデルだという都市伝説にも頷けるものを感じてしまう。勿論都市伝説はあくまで都市伝説だろうが。ネモが大義のためにはあえて犠牲を辞さない男であるものは勿論のこと、ゲンドウもただ妻と再会するために人類を犠牲にしようとしただけの男ではない。特に旧シリーズでは、ゲンドウにとっても人類補完計画は人類を完全な存在にして存続させるための悲願だったことが読み取れる。ゲンドウはユイに同調したのではなく最初から同じ夢を持っていた。たとえ補完計画で人類がヒトとしての姿を失うとしてもそれは二の次だった。
王立宇宙軍のロケットのデザインについては、あれだけ独自の文化や文明を描写したのにも拘らず、肝心のロケットが現実そのままな点に不満を持つ気持ちはわからなくもない。宮崎監督からすると風の谷のガンシップのような新しいメカデザインを見たかったんだろうか。しかし全く新しいデザインのロケットを科学考証するとなると、当時のガイナックスには手に余っただろう。これまで異世界を積み上げてきたんだからロケットこそは現実的に、という狙いもわかる。また、世界観設定にスケジュールの大半を費やした結果、ロケットのデザインにはあまり時間をかけられなかったという現実的な理由もあるらしい。