メモ帳用ブログ

色々な雑記。

アシㇼパから見たウイルクが鯉登から見た鶴見。尊敬しているし目的は受け継いでいるけど、手段は別の道を選んだ。アシㇼパから見たソフィアが鯉登から見た平二。自分が今進もうとしている道以外の選択肢も許してくれる相手で、今の道を貫くにしろ別の道を進むにしろ、こういう相手がいなければ自分で自分の道を選んだことにはならない。また、具体的な目標の影響を受けたというよりは、自分から進んで困難な道を選ぶ(ソフィア→アシㇼパ)、人の上に立つ者としての責任を意識する(平二→音之進)、といった生き方の面で影響を受けた相手とも言える。
それで、アシㇼパから見たウイルクが勇作から見た幸次郎。アシㇼパから見たソフィアが、別の道を許してくれるという意味に限っては、勇作から見た尾形だったのかもしれない。少なくとも勇作はそう感じていたように思える。兄に愛情を惜しみなく注いだのは紛れもなく勇作の選択だし、愛する兄が兄弟として女遊びに誘ったからこそ、それを断るのが勇作の選択と呼べるものになる。同様に敵を殺さないのも勇作の選択と断言したいところだけど、流石に過酷な戦争で錯乱した(ようにしか勇作からは見えない)兄が捕虜殺しを勧めてきても普通断るし、同情して泣いちゃうよな。父親の言いつけをそのまま引用しているだけっぽいのも自分の選択度低め。それでも勇作なりに尾形の言葉を受け止めて改めて自分の道について考えて、捕虜を殺さないのが自分の選択だと胸を張って言えるようになったり、もしくは自分も必要な時には剣を抜いて戦いますと違う道を選んだりできた可能性はあった。でも尾形は勇作と話の続きをする前に勇作を射殺してしまった。