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色々な雑記。

鯉登の経歴は歴史考証の人が監修しているから間違いなくちゃんとしている。
Wikipediaのこの部分そのまんまでいいはず。

1887年(明治20年)にドイツ(プロシア)式の士官候補生制度になる。1889年(明治22年)に第1期生が入校する。士官候補生は陸軍幼年学校及び旧制中学校出身者からなり、指定された連隊や大隊(これを原隊という)で下士官兵(一等兵又は上等兵から始まる)として隊付勤務(隊附勤務)を経た後に、士官学校に入校する。下士官兵としての隊付勤務を経る点が海軍兵学校(海軍の同様の現役兵科将校養成機関)と大きく異なる。
中学校出身者は、12月に士官候補生たる一等兵として入隊し、翌年6月に上等兵に昇進する。幼年学校出身者は、中学校出身者が上等兵となるのと同時に上等兵として入隊する。8月に伍長となり、12月に軍曹となる。軍曹に昇任すると同時に、陸軍士官学校に生徒として入校する。士官学校を卒業すると曹長に進級し、見習士官となって原隊に復帰する。半年ほどで、原隊の将校団の推薦(伝統の建前)により少尉に任官するという建前になっていた。
陸軍士官学校 (日本) - Wikipedia

ファンブックによれば鯉登の誕生日は「1886年頃」かつ「12月23日」。設定の整合から考えて1886年生まれではなく1885年生まれ。
旧制中学校出身者(旧制中学校または同等の学校の出身者。学歴の制限があった時期もあるが、ない時期のほうが多い)の区分だから
試験合格(1903/04)→第七師団歩兵第27聯隊で隊付勤務(1年間・1903/12〜1904/12)→陸軍士官学校(1年7ヶ月間・1904/12〜1906/07)→第27聯隊に見習士官(曹長)として復帰(1906/07)→半年ほどで少尉(1907/01)
→連載開始時の1907年2月(ファンブック情報)
となる。