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最近凡ミスが多くて合ってるか不安だけど、鯉登年表(暫定)。
年齢はすべて満年齢。学校や軍の制度は時期によって大きく異なるのでなるべく年代に合う情報を集めた。
案の定大きな間違いをやってしまったので修正した。大きな修正3回目。
1885 | ~0 | |
12月23日 | 誕生 | |
※ファンブックによれば誕生日は「1886年頃」かつ「12月23日」。設定の整合性から考えて1886年生まれではなく1885年生まれ。 | ||
1886 | 0~ | |
1887 | 1~ | |
1888 | 2~ | |
1889 | 3~ | |
11月頃 | 兄の平之丞が16~17歳で海軍兵学校(4年制)に20期として入校 | |
1890 | 4~ | |
1891 | 5~ | |
1892 | 6~ | |
4月 | 尋常小学校(4年制)入学 | |
1893 | 7~ | |
12月 | 平之丞が海軍少尉候補生(一等兵曹~兵曹長)に | |
1894 | 8~ | |
9月17日 | 平之丞少尉が黄海海戦にて21歳で戦死 | |
※史実では黄海海戦時点で少尉だったのは18期から上(1887年9月に海軍兵学校に入学、1891年7月に卒業、1894年4月に少尉任官)。仮に早生まれの19期(1888年7月に海軍兵学校に入学、1892年7月に卒業、1894年9月25日から成績順に少尉任官)だったとしても階級が合わない。黄海海戦では19期の16位と20期の主席が戦死しているが両人とも階級は海軍少尉候補生。当時は戦死による特進の習慣もない。ただし『ゴールデンカムイ』の世界の階級は鶴見をはじめとしてかなりフリーダム。 | ||
1895 | 9~ | |
1896 | 10~ | |
3月 | 尋常小学校卒業 | |
4月 | 東京の海軍予備校(5年制)に入学 | |
1897 | 11~ | |
1898 | 12~ | |
1899 | 13~ | |
1900 | 14~ | |
4月 | 海軍予備校が海城学校に改称 | |
鹿児島帰省中に鶴見と出会う(ファンブック情報) | ||
※1900年4月~1900年12月22日のどこか。 | ||
1901 | 15~ | |
3月 | 海城学校卒業 | |
1902 | 16~ | |
鯉登音之進誘拐事件(ファンブック情報) | ||
※「今年は海軍兵学校の受験だろ?」という噂話から満16歳での初受験が近い。この時期の採用試験は学科が8月で、合格発表は11月、入学はその年の12月。函館で雪が消えており、ほとんどの人間が長袖で袖まくりもしていない。晩春~初夏。 | ||
1903 | 17~ | |
1904 | 18~ | |
2月8日 | 日露戦争勃発 | |
4月 | 陸軍士官学校の第18期召募試験受験 | |
※音之進の誕生日で受験できるのは1904~1906年。平時の受験資格はその年の12月1日に満18~20歳。戦時は上限が数歳緩和される。 | ||
8月 | 士官候補生に採用(試験合格) | |
※陸軍士官学校の試験に合格してから卒業するまでが士官候補生。 | ||
旭川の鶴見に音之進合格の挨拶 | ||
11月20日 | 第七師団が満州出征 | |
12月1日 | 陸軍士官学校に入校 | |
※日露戦争のため隊付勤務が省略。原隊は希望をもとにこの時点で決定。 平時は指定された原隊で兵として1年間勤務してから陸軍士官学校に入校する(隊付勤務)。階級は一等兵~伍長に相当。軍曹に昇級すると同時に入校。 |
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1905 | 19~ | |
9月5日 | 日露戦争終結 | |
11月25日 | 陸軍士官学校を第18期として卒業 | |
※日露戦争のため短縮。平時は1年7か月。 | ||
同日 | 見習士官(曹長)として原隊である第七師団歩兵第27聯隊に入隊 | |
1906 | 20~ | |
6月 | 半年ほどの見習期間を経て少尉に | |
1907 | 21~ | |
2月 | 連載開始時点(ファンブック情報) |
陸軍士官学校の日程
官報. 1903年10月09日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
官報. 1904年08月17日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
官報. 1904年09月26日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
官報. 1905年12月01日 - 国立国会図書館デジタルコレクション
海軍士官の参考サイト