メモ帳用ブログ

色々な雑記。

とりあえずこの投稿だけでも折りたたんどく。
鶴見の「道連れには出来ん」は、心中相手にできないって意味そのものではない。鶴見は死ぬつもりはないから。でもそういうニュアンスはちょっと入っている。道連れ本来の意味である「同行する」ってニュアンスが強めで、部下たちを暴走列車地獄行きの同行者にしてきたことをいまさらでも反省してやめたってことだろう。アシㇼパをとうとう本物の同行者にすることを選んだ杉元の反対。鯉登や月島を含む鶴見の部下たちに関しては今まで何度も「鶴見の進む道についていく」という表現がなされてきた。その上でついていく者は救われるのかに焦点が当たってきた。鶴見は自分の進む道についてこさせた人間は誰一人として真っ当な救いを得られないことを悟らざるを得なくなった。
鶴見は単に利用するためだけでなく、フィーナとオリガを喪った穴を埋めるためにも「愛です」の4人に愛されたがっていたような部分がある。自分は愛したくないのに。しかし宇佐美とは口では死に際に「私たちはこれで一緒らすけ」と言いつつも、フィーナとオリガと同じく死に別れてしまった。鯉登からは指揮官としての誠実さを巡って袂を分かたれ、もう同行者になれないことを嘆かれてしまった。月島を屋根に上げようとしたシーンでは目の黒塗りや目がコマの外に切れる演出が加筆されて不穏な印象が強まっており、それをすれば死ぬのをわかった上で月島を命尽きるまで自分の同行者にしようとしていたことが読み取れる。目が黒くなる演出は、五稜郭で鯉登の愛を試そうとした時の演出や、月島に「私の味方はもうお前だけになってしまったな?」と言った時の演出とも共通する。だが至極真っ当な理由で鯉登から月島を解放するように懇願されてしまった。ここで鶴見は月島に対しては自分の過ちを認めざるを得なかったものの、まだ自分が部下たちを率いる立場であることは捨てられていなかったように思える。鯉登の言葉を受け止めきれず、その苛立ちがヒグマさえもたじろがせた。月島を失う前に、一度は離反した尾形が戻ってきていたので、まだ自分には同行者がいるつもりだった。しかしその尾形さえもが死んでしまう。4人は誰一人自分の同行者になれなかったし、してはいけなかった。鶴見はようやくそれが理解できた。
それでも最終回1話前の段階ではその憤懣をアシㇼパにぶつけてしまった。アシㇼパは本当の同行者であるべきだったフィーナとオリガを事故死させたウイルクの娘だ。「愛するものは ゴールデンカムイにみんな殺される 全部お前の責任だぞ ウイルク!!」という言葉は自分の過ちを悟ってしまったからこその最後の最後の悪あがきというか、責任転嫁であり、その言葉は本当は自分自身に向けるべきものだったように思える。そんな鶴見でもアシㇼパと杉元に完全敗北し、数十年経ったおまけ漫画の頃までには、己の不明をすべて素直に受け入れられるようになっているだろうか。