メモ帳用ブログ

色々な雑記。

鶴見勢力は、鯉登も、月島も、名もなき兵士たちも、ほとんどの人間が網走監獄襲撃に加担している。第215話で菊田は「アイヌの金塊を狙う同じ穴のムジナであり… 違法に囚人を苦役させ汚職に染まった看守たちを皆殺し」にすることよりも「罪のない婆さんを見せしめで殺す」ことの方が罪悪感に苛まれるという旨の発言をしている。当時の網走監獄に投獄されるのは凶悪犯ばかりとはいえ、囚人は勘定にも入っていない。

過激だが、これは金塊争奪に加わり殺人を犯す者たちに共通する線引きや不文律、あるいは道理のようなものではあるだろう。

鶴見勢力の人間は、たとえ敵から殺されようとも、同じ穴のムジナから自分がしたことを返されているに過ぎない。だから仲間の敵討ちは私情でしかなく大義にはならない。敵から受けた攻撃に対する感情は割り切るしかない。

鯉登も、月島も、その点はよく了解している。だから仲間を何人も殺害している杉元とも樺太ではわだかまりなく共闘できた。樺太編の終わりで杉元に重傷を負わせ、杉元から鯉登が殺されかけ、部下たちも数人殺されたが、再び顔を合わせての殺し合いとなった際もお互いに恨み言を言う雰囲気にはならなかった。最後の函館戦では鶴見勢力の人間の大半が殺された。特に列車では不運な事故もあり、条理らしい条理もなく多くの兵士たちが殺されていった。鯉登はすでに父を喪ったものと覚悟をし、それでも守ろうとした部下たちは目の前で次々と殺されていった。だが鯉登の心が土方や杉元への恨みで染まることはないだろう。もし鯉登の心に黒くわだかまるものが生まれるのなら、それは部下を守り切れなかった己への不甲斐なさ意外にあり得ない。

こんな2人にも他人に対して割り切れないものはある。同胞のために身命を賭して戦うのが本懐だと思えばこそ、目をつぶれないものがある。それは味方からの搾取だ。後半で2人のドラマ、葛藤が描かれるにあたり、鶴見は本当に自分たちの献身に値する相手なのか、鶴見は第七師団を本当に救ってくれるのか、そういった部分に焦点が当たるのは必然の流れだった。