メモ帳用ブログ

色々な雑記。

ソフィアがウイルクのことを好きな気持ちはよくわかる。ウイルクは本当ならソフィアが手を汚さなくてはならない場面で率先して代わりに汚れ仕事をやってくれた。ウイルクはソフィアの信頼できる右腕だった。
森の中でも、もう助からなかっただろう仲間にトドメを刺して他の仲間を救う決断は、本当ならリーダーのソフィアがしなくてはならなかった。だがウイルクは何も言わずに必要なことをしてくれた。それでソフィアのことを責めたりもしなかった。ロシア皇帝を暗殺する際にも周囲の子供を巻き込むことを恐れて躊躇ってしまったソフィアをウイルクもキロランケも責めなかった。それどころかウイルクはソフィアの愛こそが真の革命家に必要なものなのだと守ろうとしてくれた。
ウイルクは合理的で冷酷な男だ。そしてその冷酷さはソフィアの愛と優しさを守るために振るわれてはじめてこの世で役目を持てる種類のものだった。ソフィアから離れて自分が運動のリーダーになろうとしたことは明らかに誤った判断だった。
あるいはウイルクもそれをわかっていたからこそ、娘のアシㇼパにソフィアのような女性になってもらいたかったのかもしれない。アシㇼパが愛と優しさと強さをもって運動を主導し、自分が冷酷で合理的にそれを支える、それがウイルクの夢だったのかもしれない。そしてソフィアのように育ってほしいということは、アシㇼパが「誰かに戦わせ安全なところで生きる無責任な娘ではなく 茨の道を自分で選び幸せを掴もうとする人間になってほしい」ということだ。「茨の道を自分で選」ばなくてはソフィアのような女性ではない。ウイルクはあくまで運動の主導者になることも、人殺しになることも、アシㇼパ自身の決断によって選んでもらいたいと思っていたはずだ。だから尾形から不思議がられるほどに人殺しの心構えを教えなかった。もちろん親しい人間が特定の道に進んでほしいと強く望むことはそれ自体が強い圧力だ。アシㇼパにウイルクの跡を継いでほしいと望んだキロランケの姿勢は杉元から非難された。この非難は妥当だ。まだソフィアのようになってほしいと望んでいたウイルクの姿勢とも酷似している。一方、アシㇼパに綺麗な子供のままでいてほしいと望んだ杉元も白石から非難され、この非難も一理あるものだった。
自分より若い相手に何を託して生きるのか、死ぬのか、というのは難しい問題だ。
アシㇼパはソフィアから自分の道を自分で選ぶように促されて、上の世代の思いを受け止めつつも、戦争ではない方法で民族の誇りを守り受け継ぐために戦う道を選択した。