メモ帳用ブログ

色々な雑記。

『レイリ』を読み直したせいで頭の中が歴史的にロマンチックになってる!
まあ、そのテンションのままでゴールデンカムイに話を戻す。
鯉登平二は長男を日清戦争で亡くし、次男にも軍人になってもらう期待を持った。花沢幸次郎からしたら、親友がそれだけの覚悟を決めているのだから、自分も半端な心構えでいてはいけないという思いはあったかもしれない。一方で近代の地上戦に対する楽観視もあったのではないかと思う。戊辰戦争西南戦争などの内戦にしろ、日清戦争にしろ、日露戦争と比べれば人的被害ははるかに軽かった。
また鯉登平二の側からしても、親友が息子を戦争で失い、自らも後を追ったということで、自分を追い詰めた部分はあっただろう。自分も息子も戦場から逃げるべきではない。そして鯉登平二は敗戦の責任を引き受け、限りなく自殺に近い形で自らの人生を終えた。
これはある意味で愛ゆえの負の連鎖だ。当時の社会的道義から見ても正しいのがなおさらに厄介だ。当時の日本は徴兵制であり、将校が我が子可愛さで戦場から遠ざけるまねをすれば国民に申し訳がたたない。
ただ鯉登平二は次男である音之進に対しては誰にも見られないように配慮しながら「生きちょりゃよか」と本心を伝えることができた。それでも音之進が軍人という立場からも鶴見の下からも逃げなかったのは本人の決断だ。
近代以前の日本では身分は固定的なものだった。領主の親は領主であり、農民の親は農民だった。それが明治維新を経て四民平等の建前が生まれ、個人の生き方を個人で選べる幅が広がった。他方、武士の身分をなくすことは当時の国際情勢では、国民皆兵・徴兵制という現実へ必然的に向かうことを意味した。そうした中で軍人の家系は軍人の家系としての責任を背負った。しかしそうした状況も、戦争の世紀を経て、激動の国際社会に揉まれ、何もかも変わっていく。現在の近代国家では、徴兵制をとっている国の方が少数派だ。親の職業を子に受け継がせることを義務とみなす風潮も時代遅れになって久しい。
個人とは大波の中の水分子一粒のようなものだという。1人では流れに逆らうことも作り出すこともできない。しかしその一粒一粒が動き、変わることによって、さざ波が立ち、うねりができ、大波になるともいう。変化は常に起きている。しかし変化の意味はその渦中にいる者にはわからない。100年経って与えられた意味が本当かもわからない。1000年経ってもただその時代に都合のいい解釈を一方的に引き出されているだけかもしれない。ただそれでも人はうねりの中で、自らうねりを起こしながら、自らの信じる選択を重ねていく。