メモ帳用ブログ

色々な雑記。

ソフィア、ウイルク、ユルバルスみたいに特定の相手に特定の強い感情を持っているがゆえのドロドロはフィクションとして素直に好きだ。非道徳的だろうと、その関係の中で話が閉じていってもある意味で全員幸せだろうと思う。
一方で第七師団のドロドロは鶴見が4人の中の誰かから、もっと言えば誰でもいいから愛を捧げてほしいというだけのところから生まれている。自分は一貫して鶴見に対してはこう解釈してるし、そうここで書いてきた。尾形が言うところの「キョロキョロ よそ見ばかりしているからでしょうが!!」ってやつだ。こういう男との間で関係が閉じてしまったら悲劇だ。悲劇に浸る話も、悲劇を打ち破る話も好きだけど、まず前提として悲劇だ。誰でもいい男に篭絡されて死にたくねえ! 鶴見はフィーナとオリガの代わりの愛を誰かから捧げさせたいくせに、自分はフィーナとオリガの代わりに誰かを愛するようなマネはしたくないからこんなことになるんだ。誰でもいいから誰ひとりいなくなるまで鯉登の言葉も響かなかった。
まあ鶴見も寂しい男なんだ。ひとりで暗躍するのが向いている天分なのに、ひとりで生きていたくなかった。ぎりぎりまで自分の道連れ、ともに歩める人間などいないことを認めたくなかった。