メモ帳用ブログ

色々な雑記。

やっぱり鶴見のことを考えるのに外せない要素は、「これで私たちは一緒らすけ」がどの程度本気だったのかという点と、列車の中で満州高飛び計画を誰に話しているつもりだったのかという点だな。鶴見にとって死者とは何なのか。自分のために亡くなった者は道連れなのか。あるいは死者に置いていかれるのが寂しくてそう思い込もうとしていたが、思い込みでしかないことを自分自身どこかで悟っていたか。鶴見はフィーナとオリガの骨を失ったことで、ようやく本当に、死者は死者、生者は生者であり、自分がひとりになったことを理解できたのか。愛してくれて自分が殺した弟の下へ行くことにした尾形とは違う道を選んだ。