メモ帳用ブログ

色々な雑記。

列車で鯉登は土方に「死人になれていない」と言われた。
函館までの鯉登は戦いの場ではいつも死人になれていた。蝮のお銀を殺害した時も、網走でも、樺太でも、札幌でも、任務では常に迷いなく捨て身だった。
鯉登はずっと片方の手を鶴見に、もう片方の手を死者に向けて差し出していた。つまり日清戦争で戦死した兄にだ。同胞のために身命を賭して戦うのは軍人の本懐であり、父は自分が将校になったことを喜んでくれた。鯉登が生にしがみつく理由はないはずだった。
鯉登は少年時代のほとんどを兄の代わりに「オイが死ねば良かった」と思いながら過ごしてきた。生きていても「鯉登家ん落ちこぼれ」である自分は「兄さあの代わりにはなれん」からだ。そんな時に鶴見から「君が父上のためにいなくなった兄上の穴を埋める義務はないと思うがね」と甘い嘘を囁かれて心の隙間に入り込まれる。この時点の鶴見は父親の下から切り離すつもりで鯉登を誘惑していたはずだ。兄への思いも断ち切らせるつもりだっただろう。しかし計画は一部失敗し、鯉登の心は奪えたが、父親との仲は改善されてしまった。陸と海の違いはあれど将校の道へ進めたことで兄への劣等感が和らぎ、踏ん切りをつける必要もなくなった。ただし兄への思いとともに、戦死に対する心の傷の象徴である船酔いも温存されることになる。
鯉登は根室で船酔いに苦しみつつ、鶴見の写真を見ながら、「早くまた戦争が起こらないものだろうか」と呟き、戦闘になれば命知らずの活躍をした。
だが函館の戦いでは父の戦死を悟ってしまった。鶴見の指揮官としての不誠実さにもとうとう直面せざるを得なくなった。部下たちの命は自分が背負う必要がある。今までのように鶴見に命を捧げられさえすればそれでいい、というわけにはいかない。鯉登の心に今までにない戸惑いが生まれた。だがこの迷いを列車で土方に指摘してもらえ、鯉登は覚悟を決め直せた。指揮官の役目とは最後まで部下たちの命に責任を持ち、部下たちとともに戦に勝って生きようとすることだ。自分の死に様を飾れるのは最後の最後が終わった後だけだ。鯉登は土方を打ち倒し、月島の下へ向かった。
月島もずっと自分のことを死人とみなして生きてきた男だった。月島には死刑囚として死ぬべき理由があり、その後も罪を重ね、そして自分を救い支配した鶴見のためにとうとう命を投げ捨てようとしていた。鯉登はそんな月島に月島の命は自分にとってかけがえのない価値のあるものだと伝えたかった。