メモ帳用ブログ

色々な雑記。

鶴見は自分への愛で殺人の抵抗感を乗り越える兵士を作り出そうとした。最終的に月島は、一点を除き、ほぼすべての迷いを捨てて鶴見に尽くそうとした。だから鶴見の手法は失敗したわけではない。
ただ最後の鶴見と月島の関係は愛と呼んでいいものなのだろうか? 月島は自分の人生に価値がないと思わされたから、日本繁栄というとんでもないことであり大義があり価値のある鶴見の本当の目的に身を捧げる気になった。利用するために言ったと知りながらも、鶴見の戦友という言葉に縋った。普通これは愛とは言わない関係ではないかと思う。
月島は鶴見の内面でなく外面を崇拝し、鶴見は利用するために欺いたとはいえ部下たちに情を持っていた。だからお互い相手に好意を持っていたのは確かだ。それは決して相手に向き合わず交わらない好意でしかないのだが。
とはいえ、鶴見にとってはそれこそが紛れもない愛であり、そうしたかたちでしか愛を表せない人間なのではないかと思わせる様子は節々で見られる。鶴見は妻子とさえも真実を打ち明け合って愛を確かめ合うことができなかった。鶴見は無数の人間を愛し愛されようとしながらも孤独な人間なのだろう。
一方、月島は自分で決めつけた枠を自分自身に押し付けたいタイプの人間に思える。自分自身の芯で自分を支えられないから、外側のそれらしい枠に当てはまることで自分を形作ろうとする。だから鶴見との関係は月島にとっても心地良かった。挫折を重ねた月島の芯に最後にとどめを刺したのが鶴見だとしても、これからを選ぶ力を失った自分の行く末を鶴見が示してくれるのなら、捨てさせられたものに見合うだけの結果を鶴見が出してくれるのなら、それで良かった。ただ、これは鶴見に対する愛というよりは抑圧された自己愛の倒錯的した表出に思える。