メモ帳用ブログ

色々な雑記。

例によって前に書いた部分と重複が多いけど。
アシㇼパの故郷で鯉登が月島に語った内容を整理すると、たえと鶴見に正義がなくても「鶴見中尉殿の行く道の途中でみんなが救われるなら」自分はついて行くと考えていたことは間違いない。後悔と罪悪感に苛まれないために鶴見の本当の目的に正義があるのかを見定めたいというのは、鶴見について行くこと、鶴見の言葉を借りて言い換えるなら阿鼻叫喚の地獄に足を踏み入れることが前提での望みだ。鯉登は地獄の道を進むと決めようとも、その中で少しでもマシな道を求めることに希望を見いだせる。鯉登が鶴見について行くかどうかを決定するのはあくまで「鶴見中尉殿の行く道の途中でみんなが救われるなら」という点でなのだ。そのためなら、自分や父が利用されていたとしてもそれは構わない。もし後悔と罪悪感に苛まれることになったとしても逃げたりはしない。見届けると自分で決めた。だからこそ鶴見から逃げたいだけの人間を殺すという一片の正義もない行いに手を染めてはいけない。
この会話をしている時の2人は気付いていないようだが、実は「ついて行ってる者たちは救われる」という言葉に対する認識は月島と鯉登で食い違っている。
鶴見の計画が実現すると、北海道の軍需産業の育成、政権転覆による軍事政権の樹立、第七師団の地位向上、満州進出による日露戦争の戦死者の弔い、が成し遂げられる。
月島は「鶴見中尉殿に救われた命ですから 残りはあなたのために使うつもりです そして死んでいった者たちのためにも」と考えているので、いくら戦死者が積み重なることになろうとも、政権転覆と満州進出が実現できればついて行った者たちは報われたことになると思っている。今生きている兵士たちのことは頭に入れていないつもりだ。長年の部下なので日露戦争で報われなかった者たちが報われるようにしたいという鶴見の言葉が建て前でしかないことはわかりきっている。
鯉登は日露戦争後に鶴見の部下になった。北海道の軍需産業の育成と第七師団の地位向上を謳って部下たちを心酔させる鶴見を見ており、その建て前を未だに疑っていない。だからそれを実現することが部下たちの救いになると考えている。函館での戦いで鶴見が部下たちにそうした救いを与えられないと明白になったことが離別の決定打になった。それでも、もし鶴見が嘘で試したりせずにまっすぐに助力を求められていたら、鯉登は軍の裏切り者として裁かれようとも鶴見を切り捨てたりせずに鶴見について行きたいと望んでいた。