メモ帳用ブログ

色々な雑記。

とりあえず草太の祖父は百歳超えてない。


だから約百年前に関東大震災を鎮めるために使われた東京の要石、つまりサダイジンが元は人間だったとしても、その人間と面識があった可能性はない。ただ、草太の祖父の師匠が書いた日記には関東大震災の際の出来事が書かれている。だからその際の儀式に若い頃の祖父の師匠が閉じ師として参加したことは間違いない。個人的にはダイジンよりも大きくて落ち着いているサダイジンは数百歳以上の神だとイメージしているけど、祖父の師匠の知人である閉じ師が要石として神の器になった可能性は皆無ではない。草太の祖父がサダイジンに払った敬意も基本的には神に対するものではあるだろうが、師匠の知人、あるいはそれ以前のいにしえの閉じ師に対する尊敬の念も含まれていた可能性はある。
新海監督はティーチインでダイジンたちの正体は決めていないが元は人間だったかもと語る一方、彼らは福の神的な存在で土地の自然そのものとして書いたとも語っている。また草太が要石にされたことを聞かされた祖父が「草太はこれから何十年もかけ、神を宿した要石になっていく」と語っており、要石になった人間とそこに宿る神はやはり同一の存在ではない。
また、彼らは基本的に福の神かつ土地の自然として通った場所に商売繁盛などのご利益をもたらすものの、自分が鈴芽と二人きりになるにあたって邪魔な草太に要石の役割を移し椅子になる呪いをかけてしまうなど、ただ善性のみで成り立つ神ではない。いかにも日本の土着神らしい性格だ。草太も「気まぐれは神の本質」と語っている。
ダイジンが丸々したりやせ細ったりするのは人間からの信仰の有無というより本人の気分を表すものと考えたほうが適当だろう。ダイジンは鈴芽や草太に敵意を持たれていた時も、鈴芽に問い詰められるまでは丸々としていた。ただ、信仰心そのものというよりは、言葉によって鈴芽がダイジンの親になったために、その後も鈴芽の言葉によって文字通りに力を奪われたり与えられたりするようになったのかもしれないとは思う。
サダイジンはダイジンよりも落ち着いていて威厳がある。いかにも神らしい神だ。だから環に本音の醜い部分だけを暴露させたのは小説版で鈴芽の頭をよぎったように2人のわだかまりを解くためだった可能性はある。これを経たおかげで結果的に鈴芽はダイジンの立場を理解することもできただろう。しかし神らしい神の思考を人間が自分に都合がいいように推察しても、かえって本質から遠ざかってしまう気もする。ただ思惑はともあれ、最終的に差し引きプラスになったのはいかにも土着的な福の神の恩恵らしくはある。