メモ帳用ブログ

色々な雑記。

芹澤のことは語るまでもないとか前に書いたけど、結局相当に語っている。正直わかってたけどね。
草太や鈴芽は家にいるときに鍵をかける派なのかかけない派なのかで意味が変わってくるシーンがある。
最初は、草太がいくら屈強な若者とはいえ東京のアパートで普段から鍵を開けっ放しにして生活しているとは思えなかったし(東京だと90%以上が家に居るときも施錠する)、女所帯の鈴芽が鍵をかけない派だとは思えなくて、あるシーンの意味をそっちで捉えていた。でもシーンの意味をよく考えると2人とも鍵をかけない派だろうな。
秒速5センチメートルでも子ども2人だけで夜の塾から帰宅していたりと、新海監督作品は防災意識が低め。新海監督が生まれ育った頃の長野はまだそんな感じで、それが作品にも反映されているんだろう。昔はうちの田舎だって知り合いがノックもせずに家に上がり込んでくるとか普通だったし。子どもだけで夜に肝試しとかも珍しくはなかったし。


最初は芹澤は草太の部屋の合鍵を渡されているのかと思っていた。そうすると鈴芽が開けっ放しにしたドアの鍵は芹澤が閉めたことになるけど、鈴芽がおきぬさんから渡された合鍵をポケットに入れていれば話は繋がる。
でも家業のことを話さなかった草太が、そうした資料だらけの部屋の合鍵を芹澤に渡しているとは考えにくい。草太はよく家に芹澤を上げていたようだけど、あくまで自分の目の届く限りで、だろう。
そうすると、鈴芽と鉢合わせした日の芹澤は、草太が戻ってきていないか何度も部屋の近くまで来て確認していたんだろうなと。
人生の一大局面であるはずの教員採用二次試験に草太は現れなかった。芹澤は気が気でなかった。自分まで調子が狂った。いくら草太でもスマホくらいは持っていただろうが、荷物はすべてなくしており、芹澤が連絡しようとしても繋がらない。試験が終わってすぐに芹澤は草太の部屋に向かったかもしれないが、鍵がかかっており、いくら呼んでも返事はない。その後は、窓が開いていないから中にはいないだろうとか、だったらどこにいるんだとか、いややっぱり中で倒れていたらどうしようとか、こんな不確かな状況じゃ警察や救急車だって呼べないとか、いつも突然いなくなる奴を勝手に心配するなんて俺は馬鹿みたいだとか、散々思考が堂々巡りしていたはずだ。一旦は家に帰ったにしてもまた気になって、気にしないようにしても振り払えなくて、何度も草太の部屋の近くまで戻ってきた。そんな時に閉まってきたはずの窓が開いているのを見てほっとしたはずだ。草太がちゃんと帰ってきた。鍵も開いていた。それなのにドアを開けたらいたのは知らない女の子だった。芹澤はさぞ面食らっただろう。ただ女の子が草太の知り合いであることは間違いなく、その子の話によると草太は無事らしい。改めて安堵した反面、ようやく草太に対して腹が立ってくる。ついもう会わないと言ってしまうが、すぐに思い直し、2万円を口実にまた会う機会を取り付ける。草太はただ金を貸しっぱなしにしているだけの相手とはもう会わなくなるかもしれないが、貸した金を借りていることにされれば流石に怒ってきっと会いに来てくれるだろう、と。
わあ、いじらしい!