メモ帳用ブログ

色々な雑記。

新海監督の持ち味は「先に進んでいく君と、置いていかれる無力な僕」という構図が生み出す切なさだ。それが全面に出るにしろ、隠し味になるにしろ、ほとんどの作品で強い印象を残している。少女が主人公の『星を追う子ども』でも性別が逆なだけで構図は同じだ。ただ耽溺するだけで終わらず、何らかの変化、あるいはその兆しは訪れるものの、その痛みは酷く甘い。


しかし最新作の『すずめの戸締まり』ではその匂いがかなり薄い。女主人公の鈴芽は自分を置いていった草太をすぐに力強く追いかける。母との死別も鈴芽をへたり込む少女ではなく、足を止められない少女にした。良くも、悪くも。ただ『すずめの戸締まり』でも埋めがたい距離に対する視点の鋭さは捨てていない。行程500キロメートル中の20キロメートル、その小ささと確かさ。手を取れずとも並び立つことを諦めないこと。