メモ帳用ブログ

色々な雑記。

新海誠本2と見返しで印象の変わった部分詳細。


■草太の生い立ち
草太は両親と死別したのでなく生き別れだったのか。「引き離された」という表現からすると当時の草太は嫌々だったのかな。当然祖父と両親はちゃんと話し合ってこの結論に至ったはずだけど。母親は夫の血筋についてわかっていて結婚したんだろうか。3世帯同居で修行ってわけにはいかなかったのは、両親の住んでいる場所だと修行ができなかったってことなんだろう。それは特別な場所(山奥とか?)じゃないと修行ができないってことなのか、閉じ師として全国を回りながらじゃないといけないからなのか。他にも同居できない家庭の事情は色々あるよな。
草太の祖母は当時は生きていたのかな? 両親が生きているんだから祖父の病室の骨箱らしきものの中身は祖母だろう。羊朗さんは相当な愛妻家なのか、まだ亡くなったばかりなのか。
閉じ師の祖父、閉じ師の才能がなく教師になった父親、閉じ師の才能が隔世遺伝して閉じ師と教師を両方やりたい草太ってのはドラマチックな関係だな。まともにやれば余裕で映画1本分になる。ヒューマン路線からドロドロ路線まで何でもできる。
最初はともかく、祖父がなんの強制力も発揮できない状況で、自由に動き回れる大学生の草太が閉じ師の仕事を続けているってことは、今は閉じ師の仕事に意欲的なんだろう。義務感によるところもあるだろうけど、嫌々でなく、やりがいのある大切な仕事だから。
草太の小中高はどんな感じだ? ある程度まともに学校に通っていたらパソコンやスマホや電話で両親と連絡を取る機会はいくらでもあったはず。まして大学生になれば両親に会いに行こうと思えばいくらでも会いに行けただろう。ただ、完全に自分のイメージだけど、草太は里心がつかないようにあえて両親との接触は断っていそうな気がする。でもこの事件の後は気持ちに一段落ついて、すっきりした気分で両親に会いに行けるようになったとかはありそう。
草太って神秘的な第一印象からすると、根は思いのほか人間らしい。女子高生の鈴芽に対しては分別ある大人としての対応に徹していたから最初は分かりにくかったけど。でも大学生なのにそんなに分別があるという意味ではやはり只者ではない。教員採用二次試験の日を迎えてしまった際も、草太はそんな様子はおくびにも出さなかった。大人だよなあ。
草太は死を恐れつつ、恐れと戦っていた人間のようだ。草太の性格からするとそんな自分を臆病だと自己嫌悪することもあっただろう。教師になっても閉じ師としての役割を全うできることを証明するために生き急ぎ、同時に2つの仕事への思いは生に対する執着にもなった。自分の身よりも閉じ師の使命を優先しようと努めた。自然体でそうできたわけではなかった。だからこそ、ミミズは見えるが只人である鈴芽が戦いに躊躇なく飛び込んできた時、「君は死ぬのが怖くないのか?」と聞いてしまったのだろう。そして間髪入れずに「怖くない!」と返答された。この時に草太が鈴芽に抱いた感情は、共闘相手を見つけた喜びというよりは、憧れめいたものだったように思える。だが憧れが相手の本質を捉えているとは限らない。鈴芽に人間離れした美しさを感じさせた草太に人間らしい面があったように。鈴芽は旅の果てに失っていた死への恐れを取り戻した。それでもともに旅をし戦う中で、憧れをこえて、鈴芽は草太という人間を好きになり、草太も鈴芽という人間を好きになった。


■サダイジンのショック療法
丸く収まったとはいえ苛烈だな。でも神様はそんなもんか。人間が動物を可愛がっても動物の気持ちには配慮しきれないように、神様も人間を可愛がっても人間の気持ちには配慮しきれない。逆も然り。
サダイジンは役目に生真面目な神様。
あと草太の祖父に会いに来たのはサダイジンで間違いない。大きさは普通だったけど黒猫で右目に白い隈取があった。やはり草太の祖父の言葉で大きくなったんだと思う。


■古文書のミニ解説
安政の大地震1850年代)の際にミミズが暴れて要石が抜けていたことが判明。ミミズが暴れるとやっぱり要石は抜けちゃうんだな。しかも結構な頻度で。要石が2本揃っていても。特に記述がないからこの際に西の要石は抜けていないはずだ。数百年に一度の災害を封じるために与えられたという言葉をバカ正直に捉えすぎて、今まで変な推察を書いてしまった。資料の絵からすると百年前の関東大震災の際も普通にミミズを抑えきれずに要石が抜けてしまったというのが正解。
初見の時は人間が抜かなくても要石は抜けるという認識がなかったから、サダイジンが抜けてしまった意味がよくわからなかった。でも気付いてから見ると、神戸で草太がダイジンに「東の柱だけじゃ長くは持たない」と言って、東京では「1本ではもう持たない」と言って、その直後に抜けてしまったんだから、ちゃんと段階を踏んだ描写をしていることがわかる。
東日本の災害の際は、要石が抜けるギリギリまでミミズが暴れたが抜けてはいないということでいいのかな。東北で刺し直していればサダイジンはそちらにいたはずだ。それとも東北でミミズを刺したが常世を経由して要石が東京に戻ったとか? そっちもありえそう。そちらでも草太の祖父のお久しゅうございますというセリフとは辻褄が合うし。
ダイジンはどのくらいの年月九州に刺さったままだったんだろう。


■3本足の椅子
癒えることのない傷を負ったまま生きることを肯定する新海監督の姿勢は素晴らしいと感じた。