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色々な雑記。

ダイジンは


邪神ではないどころか福の神だし、日本の福の神は機嫌が悪くなれば普通に人間を呪ったりするものだ。でも邪魔な草太に嫉妬したからといって、椅子にして要石の役割を移したのはいかにも神らしい理不尽さだ。開いてしまった後ろ戸に鈴芽を案内したけど、それは被害を抑えつつ鈴芽と遊ぶためで、最初から九州で要石に戻ってくれていたらそんなことをする必要もなかった。道中で鈴芽に加護を与えたのも遊ぶための御膳立てをしつつ、ご機嫌を取りたかったから。そして東京では100万人の命を人質にして、要石となった草太を鈴芽の手でミミズに刺させた。要石がふさわしい場所である東北に刺されることになったのも、鈴芽が旅でトラウマを解消したのも、結果的なものでダイジンの計算ではない。
極悪かと思ったけど実はどちらかというと良い神だった、福の神らしく結果的に最良の結末を導いてくれた、鈴芽に入れ込んでいるところをサダイジンにボコられてペロペロされて反省したっぽくもある、という今の見せ方がダイジンに対して一番ヘイトがたまらない構成になっていると思う。ダイジンの背景を考えればダイジンの気持ちはわかるけど、それを鈴芽や草太が考慮して被害者になってやる必要は全くないのだし。舞台挨拶の監督のコメントによれば、要石としていつか役割に戻らなければいけないという気持ちもあった、ということは、現状遊びすぎている自覚はダイジンにもあったようだ。最後は草太を真摯に救おうとする鈴芽の心がダイジンを動かした。
人間は地の神でありただ自然のままに活動しているだけのミミズにだって、自分たちを少しでも長く生きさせてくれるように祈る。