メモ帳用ブログ

色々な雑記。

古文書からわかるダイジンの過去について追記。


この考察によれば、古文書から、ダイジン(ティーチインなどによれば正式名称はウダイジン)は170年前に震災孤児が閉じ師である石上一族に願い出て西の要石になったことが読み取れるそうだ。
一方で、新海誠本2によれば、同時期に東の要石が抜けて閉じ師の宗像一族に修繕されたことが古文書に記されているという。その後も宗像一族は東の要石の保守管理を行ってきたようだ。東の要石であるサダイジンが訪ねてきた際、草太の祖父は知人のごとく話しかけていた。またサダイジンはこの時点で普通の成猫の姿をしており、草太の祖父が鈴芽の加護を頼んだ後は巨大な猫になった。
これに対し、西の要石であるダイジンは九州で鈴芽が抜いてしまった後、痩せた仔猫になった。ダイジンを要石に変えた石上一族は作中に登場していない。また以前は主に東日本で活動していただろう宗像一族の草太が九州にまで来て後ろ戸を閉じて回っている。その他の描写を見ても、どうやら草太は現状唯一の現役の閉じ師であるらしい。さらに草太には西の要石の場所を知っていた様子がない。後ろ戸を閉じた後鈴芽に要石の場所を問いただしたのも、ミミズが見える鈴芽を石上一族の縁者と勘違いしたためだと思われる。これらの事柄から判断すると、石上一族は現在閉じ師としては存続しておらず、宗像一族との連絡も断ち、西の要石の維持管理も放棄してしまったようだ。在処などを把握していた時期があったのかは定かではないが、そうした伝承が残っている様子はない。封印を解かれたダイジンが神としての役割から逃げたのはまともな祭祀が長期間行われずにいたためでもあるだろう。放棄した石上一族でなく捜索した宗像一族の草太が呪われたのは半ばとばっちりだが、ダイジンからすれば閉じ師に区別をつける気がなかったとしても仕方がない。神なんてそんなものだ。
些細な部分だが、170年前に常世に入って要石となりミミズを封じたダイジンがいつ西の要石として現世に現れたのかははっきりしない。要石があるべき場所については草太が「その時代ごとに本当に必要な場所に、要石は祀られる。人の眼の届かない、人々に忘れられた場所で、要石は何十年、何百年にもわたり、その土地を癒し続けるんだ」と語っている。このセリフからすると要石は後ろ戸があるような場所に存在するのがふさわしいはずだ。実際、東の要石は東京の巨大な後ろ戸のそばに鎮座していた。西の要石も後ろ戸のそばにあった。ただ、あの温泉街が廃墟となった後に西の要石が顕現した可能性も、大昔にあの場所が廃墟となって後ろ戸ができかねない状況となった際に西の要石が顕現し、その後再開発が行われて温泉街となったが再び廃墟となった可能性も、現在の情報からは考えられる。前者の方が自然だが、後者だとしても封印が弱まるまでは只人がそうそう物理的に干渉できないのなら十分にあり得る。また鈴芽は閉じ師ではないが純粋な只人でもない。幼い頃常世に入ったためにミミズや常世を見ることができる。あの廃温泉街に入ったのが純粋な只人だったら、要石は見えず、触れることすらできなかったのかもしれない。