メモ帳用ブログ

色々な雑記。

セカイ系って定義が色々議論されているけど、まあ基本エヴァフォロワーでヒロインは綾波系の戦闘少女。涼宮ハルヒシリーズはセカイ系に分類されることもあるけどむしろセカイ系のパロかな。終末感はほぼないし、ヒロインはアスカ系だし。涼宮ハルヒの消失セカイ系パロの涼宮ハルヒシリーズから涼宮ハルヒを消して長門有希メインにすると普通のセカイ系みたいになりますよって趣向。
いわゆる典型的なセカイ系は、ただでさえ消極的な主人公と言われていたシンジからさらにあらゆる主人公らしさを剥ぎ取ったようなストーリーになっている。シンジのような戦闘での活躍も、人類補完計画はシンジを核として行われるという運命性もない。父親が黒幕で、エヴァの魂は母親で、ボディのベースは人類の親世代のアダムもしくは母親的なリリスで、綾波も体は母親のクローン的なもので、魂は人類の母親的なリリスで、という親の支配とその克服という構造もない。普段ビクビクしているからキレると抑圧してきた攻撃性がむき出しになる、という客観的な視点もない。すべてを背負っているのはヒロインで、主人公はヒロインに選ばれるだけだ。主人公はリアクションを返す側でアクションを起こす側ではない。とことん受け身な存在で、大人たちに利用されるヒロインを指を咥えて見ており、手遅れになってから悔やむ。セカチューじみた逃避行はセカチューじみて失敗する。そうして、無力で、無垢で、無害で、何もしないから誰も傷つけなくて優しい、世界の被害者、という自己イメージを守っている。そのことに自己嫌悪を抱いていたりもする。なのに、世界の中心である彼女に選ばれているから世界全体に対してなんかわかったようなセンチメンタルな意識を向けちゃったりする。日常のごくありふれたやり取りからぼくのことを好きになってくれた彼女は世界の中心になろうと変わらずぼくのことを愛してくれる。
自分にも覚えがある感情だけにノスタルジーに浸れる。と同時に気持ち悪い。
天気の子はかなりセカイ系の特徴を残した作品だけど、主人公の帆高は馬鹿丸出しで銃を撃つわ、何も知らず陽菜に晴れ女の力を使ってもらうわ、共同経営者になって晴れ女の力でじゃんじゃんビジネスするわ、そのせいで陽菜の非人間化が加速するわ、また銃を撃つわ、典型的セカイ系主人公みたいに被害者ぶったら凪からお前のせいだぞと言われるわ、ヒロインを救うために世界の衰退を放置するわ、須賀から世界は元からこうだったと慰められても、僕たちが世界を変えたんだ、と加害者としての自己認識を引き受けるわ、とセカイ系の幻想を殴り捨てているところが好感が持てる。セカイ系の始祖の1人とされている新海監督がこのを作った意義は重い。帆高は陽菜を救って東京を救わなかったことを自分の積極的な選択として引き受けている。それでも、陽菜とともに、この東京で、この世界で、生きていくことを。
天気の子は全体的にセカイ系よりかエヴァに先祖返りしてて、さらにその先のジュブナイルに先祖返りするのを目指しているっぽいかも。