メモ帳用ブログ

色々な雑記。

セカイ系とはセカイと直結している彼女と、何の力もないぼくの話だ。なぜ彼女がセカイから選ばれているのかをぼくはよく知らない。その仕組みをぼくが知ってしまえば具体的・社会的な中間項が生じてしまい、セカイ系セカイ系たらしめているぼくと彼女とセカイの一体性が失われる。ぼくがセカイと一体だという大それた幻想を抱けるのは、ぼくがセカイの仕組みのことを具体的には何一つ知らないせいだ。無知であることで無垢なふりをする。
天気の子のヒロイン・陽菜は祈りで雨を晴れに変える力を持つ。だがなぜそうなったのかという必然を陽菜自身や主人公・帆高が説明することはできないだろう。たまたま廃ビルの屋上の神社で祈ったらなぜか晴れ女になったという状況は説明できるが、それは必然性ではない。必然性について語るなら、その神社が実は特別な場所であるとか、ご神体の封印が解けたとか、知らず知らずのうちに儀式を行ってしまったとかの謂れが必要だ。裏設定としては陽菜は天気の巫女の血を引く者なので、その強い願いを天の神が聞き届けたということになるのだろうが、そんなことは陽菜も帆高も知らない。
天気の子が本格的にセカイ系めいてくるのは真夏の東京に雪が降りだしてからだ。いよいよ陽菜と天の一体化が進行し、追い詰められた陽菜の心が雪となって表れてしまったことが説明はなくとも状況で感じ取れる。陽菜の能力が、それまでの祈りにより雨を晴れに変えられるという地点から一歩踏み出してしまった。帆高・陽菜・凪の3人が警官に追われて宛てのない逃避行に出るというシチュエーションもいかにもセカイ系だ。この時点ではまだ帆高は陽菜の非人間化がそこまで進んだことに確信を持っていなかった。だが制止してきた警官を振り切るために陽菜は車に雷を落としてしまい、帆高も現実を直視せざるを得なくなる。それでも見ないふりを続けようとしていた帆高だが、ホテルで帆高に透き通ってしまった体を見せられる。その夜陽菜は地上から消える。
そして陽菜が天に連れ去られてからのストーリーはますます論理的ではなくなる。帆高の思考も完全に論理性を失う。
陽菜が晴れ女になった神社から自分も今陽菜がいる天に行けるんじゃないかと帆高が思いつくことは理解できる。だがなんの確証もないままそれに賭けて警官から逃げたり拳銃をぶっ放したりするのは狂気的だ。そして神社で祈ったら本当に天に行けてしまうのだが、この点もまるで必然性が説明できない。
もし天気の子が狭義のオカルトものだったとしたら、陽菜が天気の巫女に選ばれた理由、天気の巫女を辞める方法、帆高も天に行く方法、などの具体的な中間項を解き明かすだろう。それによって世界の仕組みを理解し、合理化し、正体のわからないものに対する不安や恐怖を克服する。だが天気の子は具体的な中間項を一切解き明かさないことでセカイ系となり、セカイ系であることで帆高は世界と一体となり、その祈りは世界に聞き届けられた。理解しないままの世界は、未知であり、恐怖であり、可能性であり、ぼくから見た彼女だ。
何の必然性も、分別も、合理性も、論理性もないゆえに帆高は天に届いた。神から女を奪い、東京を沈めて陽菜と東京で生きる選択ができた。陽菜は差し出された帆高の手を自ら握った。


帆高は世界か女かで女を選んだのではない。女と世界で生きていくために世界を変えた。帆高自身が終幕で自分の行動の意味に気がつく。
帆高は家出により少年としての日常を捨てようとした。一人前の生活を送ろうとし、陽菜と出会って共同経営者になった。だが手に入ったものはかりそめの日常でしかなかった。晴れ女の力も、拳銃も、彼らが乗り込んだ泥船に過ぎなかった。だから帆高は拳銃を使って陽菜から晴れ女の力を奪い、拳銃を失って自らも補導された。
結果だけ見れば、陽菜も、帆高も、最初から何もしなかったのと何も変わらない。陽菜は年齢を詐称したり晴れ女の力を使ったりしても、結局は弟ともども行政に保護されることになった。帆高は東京での生活や仕事がすべて無駄になり、自らの手で無駄にし、故郷に送り返された。東京の雨は最初から晴れ女が出現しなかったように降り続いた。
それでも陽菜は東京のために祈ることを辞めなかった。それを目撃した帆高は、変わってしまった世界と、変わることのない陽菜の気高さを感じた。かつて故郷を離れて探し求めた光は、もはや二度と天より東京の地に降り注ぐことはない。世界は変わらなかったのではなく、自分たちが変えたのだと認識した。自分たちは何もしなかったのではなく、一旦は何かを為し、それを台無しにした。そのどちらも自分たちの主体的な選択だった。だから自分たちは世界を変えた。だが帆高はすでにこの東京で失われることのない輝きに出会っていたことを知った。そして自分たちの変えた世界で生きていくことを決めた。世界は変わろうとも、この地で生きる人々は変わらずに輝きを宿し、新たな日常をまた繰り返していく。