メモ帳用ブログ

色々な雑記。

セカイ系は主人公がセカイであるヒロインから盲愛されていることで成り立つジャンルだけど、そういう意味だと最近の新海監督映画では天気の子すらセカイ系ではない。陽菜は帆高だけのために人柱になろうとしたのでも、帆高だけのために人柱をやめようとしたのでもない。陽菜は帆高はもちろん、凪や、夏美や、須賀や、萌花や、今までのお客さんたちや、世の中のみんなのことが好きだった。だから人柱になろうとしたし、だから生きたいとも思った。帆高が陽菜のことを本当に理解できたのは陽菜が帆高の手を握った瞬間でなく、陽菜が雨の降り止まない東京のために祈っているのを見た瞬間だ。手を握った瞬間の帆高は世界で一番大切な人だっただろうけど、帆高だけが陽菜の世界なのではない。それは帆高も同じだ。帆高も、陽菜も、自分たちだけで救うことを諦めた世界を、それでも愛しているからこの世界で生きようと思った。